2009年8月28日

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昨日京都への電車の車中で「歓喜する円空」(梅原猛著)を読んでました。

発願し生涯12万体もの異形の木仏や神像を掘った謎の人物円空。白山信仰の修験者で、中部・畿内を中心に北海道まで木仏が残っています。

その木仏は全て柔和な笑みをたたえているそうです。

40頁にわたる木仏の所在地の地図と木仏の写真を眺めるだけで、興味深いです。

「神仏習合」。正月は神様に参り、仏事は仏様を頼りにする、日本独特の思想。

神仏習合は役行者(えんのぎょうじゃ)に始まりるが、泰澄の白山信仰により一層強まり、行基の八幡信仰により国教となり、空海の真言密教によりほぼ完全に仏教に取り入れられました。修験道は中世(鎌倉・室町時代)に全盛を極めます。

円空はその延長線上に行者として、仏師として現れます・・・・。

「飛州志」(1803)に言う。

「本土ニ於テ、高岳ノ岩窟、或ハ山中ノ寺社ノ深林等ニ多ク木仏アリ。円空ト云僧ノ作ル処也。・・・・薙刀一柄ヲ携ヘ、常ニ仏像ヲ作リ、即其地ニ収メ捨ヌ。仍テ空ガ来由ヲ尋問フニ、敢テ答ヘズ。我山岳ニ居テ多年仏像ヲ作リ、其地紳ヲ供養スルノミ。・・」

(飛騨の高い山の洞窟や山中の寺社の深林などに多くの円空作の仏像がある。・・・円空は薙刀一本を携えて仏像を作り、其の地に収めたが、どこから来たかを問われても答えない。ただ地神を供養するためにこの地に来たとのみ語る。・・)

 

現在はリタイアされ大阪の阪急線沿線のご自宅におられるAさん。

仕事上で大変お世話になりました。

今も年に何回か大阪でお昼をご一緒します。

最近の口癖は

「もう何も思い残すことはないよ・・・。」(微笑)
 

現役時代、梅原猛氏の著書に熱中された時期があるそうです。

そのせいか、社寺や仏閣にとても詳しいです。

全国を歩かれたAさんが、リタイヤ后関西に居を構えられたのも、関西に社寺仏閣が多いという理由もあります。
 

ねがはくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃   
                                       西行  (南河内 広川寺)
 

の歌を教えて頂いたのもAさんでした。
 

Aさんから借りたままになっている梅原猛著作集も本棚で積んだままになっています。


 
 

お盆に青木建設時代(東京S55~S58)の亀岡在住の同級生に会っていました。

ご夫婦3男1女と共に中華料理店で次男さんの就職内定祝いも兼ねてお昼に食事しました。

子供さん達が小さい頃に一緒に美山町にキャンプに行ったり、お宅に息子を連れて泊まりに行ったり、家族ぐるみでつきあいました。

我が家の次男がお兄ちゃん達に「かずどんかずどん・・・。」と呼ばれ遊んで貰いました。

お宅のトイレの便器におでこをぶつけて瘤が出来たのを覚えています。
 

次男さんは某宗教法人の財団に内定しました。

「僧籍に入っても良いか?」と問われているそうです。

私は彼に「『梅原猛の授業 仏教』を読んでおいた方がいいよ。」と言いました。

よく考えると、彼が通った中学校で梅原猛氏が実際に本にある授業を行ったのでした。
 

子供達の成長を喜びながら、親父と紹興酒の杯を機嫌良く重ねました。

酔眼で眺めますと、ダムの土木技術者でありルンバやチャチャチャなどのラテンダンス!を趣味とする親父の頭は剃ってあり、お坊さんのようでありました。(笑)

 

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