クラゲを捕っていた少年

2009年10月11日

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土曜日にノーベル化学賞を受賞された下村脩氏の名誉市民の顕彰式典に厚生会館まで行ってきました。

秋晴れの中、下村氏がどんな講演がされるのか、楽しみに歩いていきました。

下村氏は陸軍将校だったお父上の勤務地の関係で5歳まで福知山に在住されたとの事です。

GFP緑色蛍光たんぱく質

オワンクラゲから抽出された緑色蛍光たんぱく質(GFE)の発見と開発で、2008年にノーベル化学賞を受賞されました。(写真はオワンクラゲではありません。)

・・・182cmの長身の氏のスライドを使った講演は、とても分かりやすく、興味を引くものでした。

長崎薬専(長崎大学薬学部)・名古屋大学理学部・プリンストン大学での各々の恩師にテーマを与えられ、導かれたと謙虚に語っておられます。

・・・休憩時間に、iPhoneを使って下村氏の記事を読んでおりました。

興味を引いたのは、息子の下村努氏のことです。

・・・家族で網を持ってオワンクラゲを捕っていた少年のその後・・・です。

数学・物理は抜群の成績であったそうです。飛び級で学年が上がったり、高校時代に既にプリンストン大学天文学部のコンピューター計算を請け負ったりしていました。しかしながら、熱中する余り、高校を放校処分になりました。現在は物理学者になられており、カリフォルニア大学サンディエゴ校主席特別研究員を務めておられます。

コンピュータセキュリティ専門家としてあまりに有名だそうです。

1990年代にはFBIに協力し、伝説的なクラッカーのケビン・ミトニック(クレジットカード情報2万枚をクラッキング)の逮捕に貢献したとの事です。

・・・ある日、務氏のコンピューターから情報が盗み出され、彼を愚弄するメッセージが残された。コンピュータセキュリティ専門家として、FBIにも助言することとなった務にミトニックは宣戦布告する。

ミトニックはインターネット経由で務氏にボイスメールを送り、殺害をほのめかすこともあったそうです。しかしミトニックにはロサンゼルス生まれでありながらイギリス人のようなアクセントで話す特徴があったため、務氏は声のその特徴から相手がミトニックだと気付いたという・・・。

・・市連邦地裁において人定質問が行われると、ミトニックは初対面の務氏を見やり

君の技術に脱帽した。

という趣旨の言葉をかけたという。(Wikipedia)

下村務氏

そのエピソードは後に務氏が「テイクダウン」として出版。それを元に「ザ・ハッカー」として映画化もされました。

テイクダウン

・・・・写真でよく報道された、家族ぐるみで網をもって、西海岸の港で、オワンクラゲを取っていた少年が、あまりに有名になっておられるのに驚きました。

オワンクラゲからハッカー(クラッカー)に相手が変わったわけですね。(笑)

ホームページによると、San Diego在住で活発なインラインスケーターであり、クロスカントリースキーもこよなく愛好されるそうです。

・・・なんか・・かっこいいですね。
 

・・・・早速、Amazonnに「テイクダウン」(下村務著ジョンマーコフ著)を注文しました。

 
takedown:「現行犯逮捕」の意だそうです。

 

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