若衆宿

2008年8月11日

ブログ

drawing日曜日に娘のヨット部のファミリーデイがあり琵琶湖まで行ってきました。

 

 

 

 

琵琶湖にモータボートやクルーザーで父兄が連れて出てもらい、練習風景を見たりスナイプ級のヨットに乗せてもらいました。

あいにくの微風で満帆に帆をはらんで・・・とは行きませんでしたが、無動力でスルスルと滑るように湖面を行くヨットの感触を楽しみました。湖面から見る湖西の市街地のマンション群と比叡の山並みのコントラストもいい眺めでした。

練習後、湖畔に建つ古色蒼然たる合宿所でバーベキューを頂きました。

昭和年代の三角屋根建物で老朽化が激しく1階は艇庫・コーナーに女子部屋(畳+蚕棚ベット状態で雑魚寝「座って半畳・寝て一畳の世界」)隅の土間に台所・2階は男子大部屋(同じく)でした。

合宿所 台所

 

 

 

 

 

男子部屋には天井に大きな紙が貼ってありました。墨で黒々と昔の先輩が「俺はインカレだろうと・・だろうと全て勝ちに行く。・・」みたに書かれた檄文でした。

艇庫には工具類や部品が整然と積んであり、どれも年期の感じるものばかりでした。

父兄の接待は上級生が行い、はにかみながらも学生が話をしに来てくれました。

drawing

 

 

 

 

 

・・・「若衆宿」と言う言葉が思い浮かびました。

以前司馬遼太郎さんの本を読んでいたときに、「日本民族はどこから来たか・・?」
の答えに、

1.ロシアのバイカル湖付近から・・蒙古斑(子供の時にあるお尻の斑)の存在。他地域の子供には蒙古斑がない。「て・に・を・は」のように言語をひっつけたり、語尾を変化させて意味を変える膠着語の存在。日本語・朝鮮語・アルタイ語(満州語)・モンゴル語が共通。

2.南方の環太平洋の地域から・・共通の高床式住居。日本語と共通の母音言語。ハワイの言葉の例・「HONOLULU「WAIKIKI」「ALOHA」「OAFU ISLAND」。「若衆宿」の存在。

「若衆宿」とは10歳前後から夜は村の集会所のような処に泊まり、年長者から成人になる前のいろいろな事を教わる風習。その風習の中で使われる宿泊所。日本の青年団や鹿児島の郷中(ごうちゅう)組織(西郷隆盛は郷中組織の長)がこれにあたる。部族では「狩り」などある部分は長老よりも若衆組織が主導権を握る。

臨床心理学者の河合隼雄さんの本にも、同じく成人する前の通過儀礼(イニシエーション)に「若衆宿」の存在が書かれてありました。通過儀礼とは、古く日本では元服の儀式。服装や髪形を変える。未開部族では割礼やトランス状態での祭り。現代に残っているものでは七五三や還暦祝い。観光化したものにバンジージャンプなどがあるそうです。

丁度会社の独身寮に高校や大学を終えた新入社員が入ってきて、独身寮の中で、先輩と飲みに行ったりで一つのコミュニテイが出来てくるのも・・・そんな「若衆宿」の一種かなぁと思います。

・・・

会の終わり頃、学生のお祖母さんが暑さでトイレを出たところで倒れられたと連絡が入りました。

お母さんから「え~!」という声。

瞬時に無言で大きな冷蔵庫を空けて、保冷剤を抱えて走る女子学生、お茶の入ったやかん持って脱兎の如く走る男子学生と・・あまりの動きの素早さにビックリしました。

現代でも「若衆宿」は脈々と各地にあると言うことを感じました。

ヨット撤収  
  

 

ブログトップへ戻る