陰陽論

2011年8月21日

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ふ~ん・・・・。

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本屋で「風姿花伝・三道」(世阿弥 竹本幹夫訳注)を見つけ、少しづつ読み進む。

中学生のころ、「冬の旅」と言うテレビドラマをみて、原作の小説に興味をもち立原正秋の著作を読み出しました。「風景と慰謝」と「冬のかたみに」が印象深いです。(テレビドラマ「冬の旅」は当時大ブレイクしたそうです。)

「冬のかたみに」は、高校生の夏休みに本屋に注文して取り寄せた記憶があります。(時代を感じますね・・・。)

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大学生の頃、欧州を2ヶ月間バックパッキングでユースホステルや学校の寮などに泊まりながら、列車で一人旅をしました。立原の「風景と慰謝」と山本周五郎の「さぶ」という小説二冊をバックパッックに入れておりました。

ロンドンのチャリング・クロスという駅でスコットランド行きの夜行列車を待っておりました。「風景と慰謝」を読みながら黒ビールを立ち飲みのパブで飲んでいた事を今更ながら思い出します。(軽い緊張感もあり、旅の間は滅多にアルコールは口にしませんでした。)

立原の影響で「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」の言葉に象徴される世阿弥の世界が身近に感じられ、時代時代に「花伝書」を解らないなりに読みかえしました。

以下は読み親しんだくだり・・・。 
 

「・・・夜の能はまったく雰囲気が異なる。遅い時間に始まるのでまったく陰鬱になってしまう。だから夜の能は昼の2番目にいいような内容を夜の冒頭に配するのがよい。夜の能では出来る限り、よい作品を早い段階で演じるべきである。要するに昼の催しでは後半がよく、夜の催しでは前半がよいのである・・・。
 
秘儀に曰く、万事につけ陰陽和合する境地を成功と考えるべきである。昼の能動的な陽の運気を、出来る限り観客席が静まるのを待って演じようとする工夫は、受動的な陰の働きである。逆に陰の運気に支配される夜は、出来る限りにぎやかに、よい作品を演じ観客の心を華やがせるのは陽の運気である・・・。」
 
                             (世阿弥 風姿花伝 第三 問答条々 の要旨)
 
 
 
陰陽論五行説を少し学んでますが、これまでは陰陽について???でした。
 
今回、話がつながった気がします。

夜会の女性の華やかなイブニングドレス、一時のプロ野球球団Gの4番打者の集まり、会社の集うべき人々・・・・、等々連想は膨らんでいきます。

面白いですね・・・・w
 
 
 
 「またいふ。夜の申楽は、はたと変るなり。夜は、おそく初まれば、さだまりて湿めるなり。されば、昼二番目によき能の体を、夜のわきにすべし。わきの申楽湿りたちぬれば、そのまま能はなほらず。いかにもいかにもよき能を利くすべし。夜は人音騒々なれども、一声にてやがてしづまるなり。昼の申楽は後がよく、夜の申楽はさしよりよし。さしよりしめりたちぬれば、なほる時分左右なくなし。
 
 秘義にいふ。『そもそも一切は、陰陽の和するところのさがひを、成就とは知るべし。』昼の気は陽気なり。されば、いかにもしづめて能をせんと思ふたくみは、陰気なり。陽気の時分に、陰気を生ずること、陰陽和する心なり。これ能のよくいでくる成就の初めなり。これおもしろしと見る心なり。
 
 夜はまた、陰なれば、いかにも浮き浮きと、やがてよき能をして、人の心花めくは陽なり。これ夜の陰に、陽気を和する成就なり。されば、陽の気に陽とし、陰の気に陰とせば、和するところあるまじければ、成就もあるまじ。 」
 
                              (世阿弥 風姿花伝 第三 問答条々)

 

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