今年1年有難うございました。

2008年12月28日

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あっと言う間に1年が過ぎ、昨日仕事納めを行いました。

何軒かお客様・関連会社の西部開発・駅南店のプラスヨネダを廻って帰社しました。

お客様宅ではお昼に巻き寿司と雲丹の軍艦巻きを頂きました。・・四方山話の中で

「○○さん聞いてみますけど、天皇家と歴代の朝廷の関係は・・?」と聞きました。(お客様は骨董等の趣味があり造詣が深い)

「天皇家と歴代の朝廷は一体のもの・・・、神武天皇・天照大御神まで遡る・・神話の世界ではあるが・・・。・・・万世一系ではあるが、・・諸説ある。・・・雄略天皇のとき、兄弟(後の顕宗天皇・仁賢天皇)は京都府の中郡あたりに身を隠す。その後播磨のしじみの里に逃れられ、牛飼いなどをしておられた。庇護者の息子の婚礼時にことわわりきれず、兄弟で舞を舞った。えもいえず優雅な舞であり、いぶかられ身分を弟(顕宗天皇)が明かす。・・継体天皇も福井市の足羽山におられた。

・・政(まつりごと)を司った時代は少ない・・。武家が将軍を名乗ったのは、源頼朝から始まる・・・。将軍は世襲。北条氏は執権という名の権力の座につく。足利尊氏も将軍。かたや摂政関白は世襲ではない。摂政関白は藤原氏の流れをくむ五摂家からしか出ない。近衛家・鷹司家・九条家・二条家・一条家。唯一例外は豊臣秀吉・秀頼。藤原家の初代は藤原鎌足。藤原家は栄華を尽くす。藤原某は『この世をば わが世とぞ思ふ・・・』と歌に詠む。(道長 ・・望月の 欠けたることも なしと思へば)

公家は京都の御所の外苑あたりに住む。福知山の藩主の朽木さんの奥様は公家の名門中山家から出ておられる。今でも京都に中山家の跡が現存する。明治天皇のお母さんは中山家の人。中山某は幕末から、明治維新にかけて活躍し、条約勅許に反対、和宮親子内親王の降嫁を推進した・・・。」(忠能)

「そんなことは古事記に書いてあるで・・。古事記は大和朝廷の正史・・。」

「近所の○○神社の門松は、年末に氏子が集まって作るで。竹と松と梅と・・・そして葉牡丹・熊笹・南天も・・・赤いものもほしいなぁ・・。1月14日のどんど焼は、灰を持って帰って家にまく人もおられる。昔は竹を小さく裂いて火であぶって、まげて家の四隅に魔よけと称して、立てられた。今はする人いなくなったけど・・。」

・・などとゆるゆると拝聴する。 とてもゆったりした気分になる。

会社に帰りますと、当社のコーデイネーターの○野さんがかわいい子供さん2人と来ておられ、「納会に」 と言ってケーキを家で焼いてきておられました。お兄ちゃんが「しゃちょう・・・。」と呼ばれるのにも慣れました。(笑)

子供さん2人をくすぐって別れました。

 

昨日は大正小学校3年生の皆さんからも、先日の社会見学のお礼に心のこもった寄せ書きも頂きました。

今年1年多くのかたがたに、お世話さまになり、心易くしていただいたことに深くお礼申し上げます。

 

 

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