フロー

2016年9月23日

ブログ

 「フロー」とは喜び、創造、生活への深い没入過程など人間の能動的側面をあらわす言葉だそうです。スポーツでは「ランナーズハイ、ゾーンに入る」芸術家では「○○の神が舞い降りてきた・・・」等という場合があります。

 学生の頃スキークラブの合宿で野沢温泉に行っておりました。夕刻宿のペンションの前の広場にノルデイック(距離競技)のスキーを履いた小学校5年生ぐらいの女の子が息を弾ませながら真っ赤な顔をして現れました。彼女のキラキラした表情が明らかに今この時間に没頭しているのが判りました。

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 ある本を読んで最近自分の仕事やプライベートで楽しかったことを考えてみました。(M.チクセントミハイ「フロー体験喜びの現象学」)

 休日にお寺で方丈さんや檀家総代の方たちと冗談を言いながら地鎮祭をしたこと、淡路島や神戸で工場の引渡しをして先方の社長さんに喜んでいただいたこと、着工式でおみえになった1歳半の女の子と少し面識が出来地鎮祭で出会ったときに私に手を上げてくれたこと、読みかけの本を会社で昼休みに読んだこと、サイクリング車の空気圧を調整したりチエーンを植物油で掃除したこと、飼っているめだかの卵がかえったこと・・・。
 

 本の中に様々なインタビューの結果が書かれてありました。ヨーロッパアルプスの山間部の村で暮らす76歳の老女セラフィーナは「生活の中で何をするのが一番楽しいかと尋ねられたときに、ためらわず、乳を搾ること、牛を牧場に連れ出すこと、果樹園を剪定すること、羊毛を梳くことと答えた・・・事実彼女が楽しんでいたのは、これまでの生活の中でずっと続けてきたことであった。『とても楽しいのさ。外にいること、人と話すこと、家畜と一緒にいることがね・・・植物・鳥・花・動物-何とでも話をするよ。自然とは友達さね・・・。』」同じ地域の66歳から82歳の長老の10人同じ面接をしたがセラフィーナと同じ答えであった。
 

 南シカゴの鉄道車両を組み立てる熔接工のジョーの場合。「約200人が彼と供に数トンの鉄板がレールに吊り下げられて動き回り、火花を散らして貨車の台車に熔接されている三つの巨大で薄暗い格納庫のような建物の中で働いていた。夏はまさにオーブンであり、冬は平原の寒風が吹きぬけていた。(シカゴは非常に寒冷な地域)常にぶつかり合う金属の音があまりにも大きく、話をするには耳元で怒鳴らなければならない。ジョーは5歳の時にアメリカにやってきて、小学校4年で学校を辞めた。彼は30年以上この工場で働いていたが、職長になりたいと思ったことはなかった。彼はただの熔接工でいたいと主張し数回の昇進の薦めを丁重に断っていた。工場の誰もがジョーのことを知っており、彼が工場の中で最も重要な人物と知っていた。彼の仕事仲間は、ジョーなしには工場は直ちに店じまいだと言った。
 
 彼の名声は単純である。工場の全ての操業過程を熟知しており、もし必要があれば誰とでも仕事を変わることが出来た。さらに彼は巨大なクレーンから小さな電気のモニターまで故障した機械は全て修理できた。しかし人々を驚かせたのは全ての機械を直せることでなく、呼ばれた場合にその仕事を実際に楽しんでいることであった。正規の訓練を受けることなくどうして複雑なエンジンや装置の直し方を覚えたのかと聞かれたときにジョーは実に微笑ましい答えをした。子供の頃から機械に魅せられてきたが、特にきちんと動かない機械にひかれてきた。母親のトースターが壊れたときのように『もし自分があのトースターで、うまく動けなかったら自分の何処が悪いのだろうと自分に聞くんだよ。』それ以来彼は故障を知るのに感情移入的な同一化法を用い、次第に複雑な機械装置を修理するようになった。そして発見の魅力が彼を離れることはなかった。・・・ジョーは郊外の質素なバンガローに住んでおり、家の両側の宅地を二区画購入した。家の周りの空地にテラスや小道があり数百の花や低木を植える複雑な庭園を作った。地中にスプリンクラーを設置し虹を作るようになっていた。市販のものでは作ることが出来ず、自分で設計し地下の旋盤でそれを作った。仕事の終わる時間には虹を見ることが出来ないので再度設計し充分な太陽光線のスペクタルを含んだ照明灯を設置した・・・。」
 
 ブリテイッシュ・コロンビア州のインデイアンの一種族についての人類学者の記述。「シュシュワップ族の居留地は彼らには豊かな土地と考えられてきたし、現在でもそう考えられている。鮭その他の獲物は豊富であり、地下茎の根菜など地下の植物資源に恵まれている-豊穣地なのである。彼らは環境資源を極めて効率的に利用する技術を工夫しており、健康で豊かな生活を享受していた。しかし長老たちは世界があまりにも予想どうりのものになり始め、生活から挑戦が消え始めたと言った。挑戦のない生活には意味はない。 

 そこで長老は知恵を絞り、村ごとに移動すべきだと決定し、この移動は25年から30年ごとに行われた。全員が居住地の別の地域に移動し、そこで彼らは挑戦を見出した。そこでは調べなければならない新しい河やけもの道があった。バルサム(含油樹脂。接着剤、傷の治療)の根が沢山ありそうな場所があった。今や生活は意味と生きる価値を見出した。皆が若返りと健康を感じた。同時にこの移動は、長年の収穫によって疲弊した地域を回復させることにもなった。」
 
 如何でしょうか?
 
1. 自由度。自分で意思決定できること。自分で統御出来ること。学校を出て三年間余り建設会社の現場の事務屋をしました。ライトバン1台を与えられて4つぐらいの建設現場を廻りながら現場庶務をこなしていく仕事でした。基本的に事務職は一人であり所長と相談しながら事務的なことは全て自分で決定し物事を進めていくことが出来ました。慣れてくると非常に多忙な時期も有りましたが苦にすることなく動く事が出来ました。自由度が高くとてもやり易かった事を覚えています。
 
2. 仕事自体が目的化する。仕事は何らか成果(=経済的な成果)を前提に動いていくものですがやっているうちに「仕事自体が目的化」したときに仕事が楽しくなるかと思います。ある時に懇意の自治会から防火水槽の泥上げを相談されたときがありました。行って自治会の方々と話しているうちに「この仕事は自分がせなあかん。」そんな気分になりました。林道工事のときに地元から勧められた土捨て場に残土を運び込み、その残土が土砂くずれを起こし下の市道を塞ぎました。行ってみますと真っ暗の中で登光器をつけ村の方が残土の上の倒木をチエーンソーで切られており、公会堂では村の女性の方が炊き出しをしていただいておりました。自分の仕事をつくづく考えさせられた日でした。
 
3. 仲間と挑戦する。困難、現在の自分より難易度の高いことを克服する。振り返ってみますとクレームでとことん追い詰められたり、工期が詰まり昼夜兼行で仕事をしたり、会社の構造的な問題に苦しんだりといろいろありますが信頼できる仲間と曲がりなりにも克服した事が仕事の醍醐味と思います。仕事の苦しんだ時期が振り返ればかけがえのない珠玉の時間のように思います。今後も順次困難は出てくるかと思いますが仕事していれば当たり前かなと思います。
 
そんな感想を持ちました。一人一人の仕事やプライベートが楽しめれば良いですね。

 

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