2006年3月1日
なかなか開かなかった古い茶箪笥の抽出(ひきだし)から見つけた銀の匙。煉薬〈れんやく)を飲ませてもらった思い出の匙。伯母さんの限りない愛情に包まれて過ごした少年時代の思い出を著者が自伝風に綴った名著です。
子供自身のみずみずしい感受性を明治時代の東京の風俗や日本の豊かな文化をちりばめながら描き出されています。
ある雑誌に某中学校で著名な先生が中学校3年間をこの本1冊だけで国語を教えられたと書かれておりました。斉藤孝氏のベストセラー「声に出して読みたい日本語」にも確か一話はいっておりました。
以前から一度読んでみたいと思っておりました。
『あの静かなこどもの日の遊びを心からなつかしくおもう。そのうちにも楽しいのは夕方の遊びであった。・・・
ちょんがくれにも、めかくしにも、おか鬼にも、石蹴りにもあきたお国さんは前髪をかきあげて汗ばんだ額に風を当てながら
「こんだ何して遊びましょう」
という。私も袂で顔をふきながら
「かーごめかごめをしましょう」という。
「かーごめかごめ、かーごのなかの鳥は、いついつでやる・・・」
・・・合歓の木は幹をさすればくすぐったがるといってお国さんと手のひらの皮のむけるほどさすった。
夕ばえの雲の色もあせてゆけばこっそりと待ちかまえた月がほのかにさしてくる。
二人はその柔和なおもてをあおいで、お月様いくつ をうたう。
「お月様いくつ、十三ななつ、まだとしゃ若いな・・」
お国さんは両手の眼で眼鏡をこしらえて
「こうしてみると兎がお餅をついてるのがみえる」
というので私もまねをしてのぞいてみる。・・・
月の光があかるくなればふわふわとついてあるく影法師を追って 影やとうろ をする。
伯母さんが
「ごぜんだにお帰りよ」
といって迎いにきてつれて帰ろうとするのを一所懸命ふんばって帰るまいとすれば
わざとよろよろしながら
「かなわん かなわん」
といって騙し騙しつれてかえる。お国さんは
「あすまた遊んでちょうだいえも」
という伯母さんに さよなら をして帰るみちみち
「かいろが鳴いたからかーいろ」という。
私も名残おしくて同じように呼ぶ。そうしてかわるがわる呼びながら家(うち)にはいるまでかわるがわる呼んでいる。』 (前編 三十一より)
読んでみて、しばし、豊かな情感の世界にひたりました。