2006年4月7日
清水寺で会があり行って参りました。森清範貫主の法話を聞かせていただき、小堀遠州作ともいわれる見事な庭園を見せていただきました。
桜が丁度その日から一気に咲き始めたようで、全山善男善女でにぎわっておりました。2代前の貫主であられる大西良慶和上(108才まで生きられた。5つ子の名づけ親として有名。)の「ゆっくりしいや」の文章の中に、この百年を評した言葉があります。
「ただね。これだけはいえるの。私がこの清水寺から眺めてきた景色やね。その景色が変わったかどうか。それだけは、実際に、この眼でたしかめてきた。世の中が変わった、様子が変わったという。けれども、この山の上から京都市中を見おろしている景色としての全体印象をまとめてみると、あんまり、変わってないのね。・・・・平常心これ道なり、でね。心静かに、大きな事を思わんと、足元を見て、怪我あやまりのないように進むことやね。京都が千年、王城の土地として栄えてきた秘密もそこにある。山を望まず、海を望まず、京都は京都らしく、静かなきれいな心で維持されてきた。・・」
高低差のある清水寺からの眺めはまさにお言葉通りのように思いました。
願わくは 花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月のころ 西行