2010年9月5日
学生時代のスキー部の同級生の娘さんの婚礼に招かれ、東京に日帰り。
都立高校の教員の友人も神妙な面持ち。
仲間の中で真っ先に生まれた新婦は・・・・自分の子供のようにも思える。
彼の両親にも、久方ぶりに挨拶する。
「米田君、・・・あの時松茸を貰って・・・。」
・・・白髪のご母堂は良く覚えておられる。
スキー部のコーチやお世話になった某温泉宿のご主人とも同席し歓談す。
帰福後、簡単に食事をして早めに就寝。
夜半、寝床の中で、しきりに
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・。」
の文章が頭に浮かんでくる。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年(こぞ)の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸するより、松嶋の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、
草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。
(「奥の細道」 松尾芭蕉)