2014年9月12日

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弊社の「六十五年史」を作る関係上、長年弊社の型枠大工をして頂いたTさんにお目にかかる。

七十歳を超えられ、現在は自宅で畑をしながら悠々自適の日々。

二十歳過ぎから弊社の型枠大工として活躍され、数多の橋梁、重要構造物の手がけられました。

亡くなられた鉄筋工の親方からいつも

「Tさんの型枠は天下一品やなあ。」

と言われていました。

私が幼稚園の時には我が家の離れに寄宿されており、お風呂に一緒に入って若きTさんの力こぶにぶら下がった記憶があります。
  

富永さん 中津中津 豊崎
(右側がTさん)                       (御堂筋の豊崎のランプ。右の建物が中津の回生会病院)

・・・とても良い写真ですね・・・。

「大阪の中津の現場(御堂筋高架橋工事。飛島建設の下請け。)の時は福知山からは僕らの型枠大工、人夫は秋田(本庄市・由利郡)と九州の阿久根と来ていた。人数が多いので食事も二回に分けて食べていた。事務所はサウナ大東洋の横やった。

奈良(清滝生駒道路、高山大橋)も行った。そこの現場で初めて生コン車を見た。今みたいなドラム式のアジテーターではなく、荷台の上に左官屋がモルタルを練るみたいな攪拌機が載っていた・・。それまでは現場でミキサーで練ってクレーンでつって打設していた。十台ぐらいの生コン車が来て、早く打設してしまうので慌てた・・・。」(弊社決算書に「飛島建設北倭工事」となっている。北倭村は奈良県北部の村)

奈良高山大橋現代 高山大橋
                                (現在新しい高山大橋の工事が進んでいるようです。)

「飛島の大工が来て、教えて貰った。それまで番線で締めていたのをセパレーターを使うようになった。福知山ではセパレーターが売ってなかった。」

「中国道(伊丹宝塚工区)や猪名川の現場や城東(送水管工事)があった。阪急の現場も行った。」

 
 

「橋をようけやったので何処が何処かわからんようになる・・・。」

須知現場

「竹田川の笹場井堰ではコンクリを打設して初めて型枠をばらした。仕事になれてきて仕事を甘う考えとったと思う。型枠の怖さを知った・・・。」

竹田川現場
 
 
「仕事はやりがいがあった。・・・なんぼ二日酔いしても『今日仕事行きたない』と思うたことない。」

「先代には大事にして貰った。朝六時頃現場に行くと先代も現場を見に来た。仕事の好きな人やったで。『自分でやらんと気が済まん』人やった。背広でもすぐ仕事し出すので(先代の)奥さんから『背広を脱がしてから仕事させて』といつも頼まれていた。着替えんと現場来るで・・・・。。

若い頃は先代とは仕事のことでよくぶつかった。『出来るやろ』『出来ひん』で・・・。手を動かすんは自分やで・・。

国道176号(道路新設工事)の頃は先代が目で丁割りをかけて・・・。目でにらんで(よう壁を)『もうちょっとおこせや』と・・・。良い時代やった・・・。

・・・まさに青春ですね。

 
 

 

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