2014年11月15日
毎朝愉しく日経新聞の「私の履歴書」を読んでいます。
現在はコマツの相談役の坂根正弘氏です。氏は建設機械分野で米国の巨人キャタピラー社と張り合うまでにコマツを成長させたコマツ「中興の祖」だと思います。
私どももコマツの建設機械のユーザーですが、コマツがブルドーザーからバックフォー、環境対応のハイブリッドバックフォー、巨大無人建設機械システムと発展し現在の「ダントツ経営」を実現した歴史を紐解くようで面白いです。
我々が当時、ユーザーとして感じていたことを書いてあるように思います。
大らかな時代で氏の島根県の浜田市から大阪に出てこられた飾らないお人柄も魅力です。
大阪市立大学時代、郷里の友人がコマツの販売店で働いた縁でコマツの独身寮に居候し、コピー機を使い、賄をして貰い、いよいよ就職の時にはコマツの社員から「坂根君はコマツに恩義があるのだから、就職して恩義を返すべきだ。」と説得され入社した経緯や親戚のおせっかい叔母さんから結婚を勧められ、紹介された女性がたまたまデート中に、お見合い写真用に撮影した彼女の写真が写真館のショーケースに飾ってあり、「まさに『看板娘』とは此の事だ。」結婚を決意されたりしたエピソードが書かれてありました。(笑)
・・・バブル景気時代、子会社の砂利採取会社で総重量75トンのバケット容量2.3m3のロングアームのバックフォーをオーダーしたことがありました。当時競合のH社と2社見積もりを行いました。
それまではコマツはブルドーザーの会社と言うイメージでした。
バブル景気で各社忙しく、わざわざ特注の機械を作るのが大変だったと思います。
H社が出してきた納期が7ヶ月、コマツが出してきたのは4ヶ月。
「コマツの心意気」を強く感じたのは言うまでもありません。
そうした系譜が今日まで脈々と受け継がれているのかも知れません。
・・・コマツの機械が「ダントツ経営」のせいか「ダントツ」に高いのも玉に傷ですが・・・。。
城ヶ島の雨
雨はふるふる 城ヶ島の磯(いそ)に
利休鼠(りきゅうねずみ)の 雨がふる
雨は真珠(しんじゅ)か 夜明けの霧(きり)か
それともわたしの 忍(しの)び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡(ぬ)れて帆上げた ぬしの舟
ええ 舟は櫓(ろ)でやる 櫓は唄(うた)でやる
唄は船頭さんの 心意気
雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ
(作詞=北原白秋 作曲=梁田 貞)