2014年12月24日

ブログ

休日で午前中にお客様への葉書や月1回の社長通信を記す。

Amazonで届いていた「光の子供」エリックフォトリノ著を少し読みかける。

最近はkindleで電子書籍もダウンロードして読みかけるため、最後まで読まず読み忘れもある。

Amazonから「書評」を求めるメールをみて思い出すこともある。
 

少し飽きたため、手元においてある「風姿花伝・三道」世阿弥 竹本幹夫訳注をめくりだす。

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「(序)

それ、申楽延年のことわざ、その源を尋ぬるに、あるは仏在所より起り、あるは神代より伝ふといへども、時移 り、代隔たりぬれば、その風を学ぶ力およびがたし。ちかごろ万人のもてあそぶところは、推古天皇の御宇に、聖 徳太子、秦河勝におほせて、かつは天下安全のため、かつは諸人快楽のため、六十六番の遊宴をなして、申楽と号 せしよりこのかた、代々の人、風月の景を仮って、この遊びのなかだちとせり。そののち、かの河勝の遠孫、この 芸を相続ぎて、春日・日吉の神職たり。よつて、和州・江州のともがら、両社の神事に従うこと、今に盛んなり。
 
 されば、古きを学び、新しきを賞するなかにも、全く風流をよこしまにすることなかれ。
 
 ただことばいやしからずして、すがた幽玄ならんを、うけたる達人とは申すべきか。まずこの道にいたらんと思 はんものは、非道を行ずべからず。ただし、歌道は風月延年の飾りなれば、もつともこれを用ふべし。
 およそ、若年よりこのかた、見聞きおよぶところの稽古の条々、大概注しおくところなり。

 一、好色、博奕・大酒、三の重戒、これ古人のおきてなり。
 一、稽古は強かれ、情識はなかれとなり。 」(風姿花伝「序」)

緊張感のある文体が読むものに襟をだださせる。

一つ一つ訳注を読みながら拾い読みを続ける。

言葉の一つ一つが現代の人間に問いかけてくる。

(申楽・・江戸時代まで能は申楽とよばれた。)
(和州・・大和国の別称、春日神社。江州・・近江国の別称、日吉ひえ神社。両州で申楽が盛んであった。)
(非道・・専門外のこと。)
(情識・・強情であること。頑固。)
 

「・・およそ 、家を守り、芸を重んずるによて、亡父の申しおきしことごとをも、心の底にさしはさみて、大概を録す るところ、世のそしりを忘れて、道のすたれんことを思ふによりて、全く他人の才学におよぼさんとにはあらず。 ただ、子孫の庭訓を残すのみなり。

風姿花伝条々  以上

干時応永七年、卯月十三日 従五位下左衛門大夫秦元清 書 」(風姿花伝 第三 問答条々(九))

「庭訓」・・・丁度弊社の「創業65年史」を年末に完成させましたが、これも社内への庭訓であろうかと思います。

(ていきん。家庭教育。孔子が庭で、子の鯉(り)に対して、詩経や礼記を学ばなければならないことを教えたという「論語」季氏の故事から。)

(秦元清・・世阿弥元清の本名)

この本を若年より時に応じて拾い読みをしてきましたが、数百年前の先人の言葉を受け取るのも幸せですね。

 

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