2015年9月10日
土日を利用して会社の仲間総勢13名で富士山登山の弾丸ツアーをしてきました。
900頃に京都駅前発のツアーバスに乗り込む。
3席独立の長距離バスで楽珍そうでした。
が、・・・・!
高速に入っていきなり私の座っていた後部座席あたりで
「ガクン!」
という鈍い音。。
エアーサスペンションの一部が破裂。
第二東名の御在所SA(三重県)で大阪からの代替バス待ちで2時間の遅れ。
気を取り直して一路、富士スバルライン5合目を目指す。
浜名湖の手前の三ヶ日から北へ向かい第二東名で浜松北~新富士まで設計速度120km、トンネル断面の大きい道路をストレス無くとばす。
だんだん富士山がみえてくる。
ようよう1800頃(予定より1時間遅れ)に富士スバルライン5合目標高2,300mに到着。
いそいで着替え、夕食を済ます。
早速1900に2班に分かれて出発。(屋久島ツアーの班分けを踏襲)
(登り8合目の山小屋白雲荘まで5時間、仮眠後登頂まで3時間、下り4時間の予定。標高差約1,500m)
だらだら道を6合目まで歩く。
まだ皆元気!
六合目安全指導センターから地図を頂く。
(黄色のルートを上り、波線のジグザグ道を降りてきます。)
センターの方から
「五合目からまだ標高差で80mしか登っていませんよ。」の声。
先はながい^^;
気を取り直して登る、登る。
天気予報は幸い日曜日の午前中まで晴れのち曇り。
気温は登るにつれどんどん下がる。
7合目あたりから順次山小屋が現れる。
高山病が心配。。
途中から溶岩の流れた後の岩場を登る。
両手のストックを仕舞い、両手でしがみつきながら登る。
四足(手)歩行か?
頭の上げ下げ都度にふらふらする。。
途中、鳥居荘まで来た時にもう1班が4つ下の7合目トモエ館に居る事を知る。
高山病、疲れなどでかなり難航していることを知る。
眼下をみると遠く6合目の安全指導センターの灯りが見える。
随分と上がってきたことに気づく。
ようよう8合目の標高3,100mを過ぎ今夜のお宿白雲荘に到着。
時刻は24時。5時間かかったことになる。
白雲荘の前には煌々と灯りがつき多くの登山客でざわめいている。
直ちに朝の簡単な弁当をもらい2段の蚕棚のようなベットに潜り込む。
掛け布団は2人で1枚。
身体も汗で濡れているし、コンプレッションも履いているがお構いなく疲れで眠ろうとする。
1時間後M君に起こされる。
頂上付近の混雑を避けるため再度頂上に向け登攀を開始する。
5:09が前日の日の出故、その時刻が目標となる。
本八合目3,400mを過ぎ、再度ザラ場の坂道から足元の悪い岩場の登攀となる。
渋滞が甚だしい。
同じ班のメンバーともはぐれ、少しづつ登る。
上の方から拡声器で
「立ち止まらないでください。前ともっと詰めて詰めて。遅い人は左によって下さい。」
の連呼。
どんどん後続に抜かされる。
「もう15分ぐらいですよ!がんばって!」(拡声器)
頂上の鳥居が見えてくる。
ようようよろよろと鳥居をくぐった頃にざわめきが・・・!
ご来光らしい。
頂上(標高3,776m)は登山客でごった返している。
それにしてもご来光が輝かしい。
充分に全身に光を浴びる。
メンバーを探すが見つからない。。
そこへもう1班の女性3名と合流!
男性2名とも合流!
我が班のNさんは遅れていたメンバーと出会い感激して涙ぐんでいる。
同じ班の体調不良のメンバーを八合目の山小屋まで荷物を二人分背負いながらサポートし、その足で一睡もせずアニマルのような体力で我々に追いついたのでした。
仲間思いのメンバーに感激しました。
(many photographs by Tomoyo Fuchikawa and Hiroyuki Murakami.)
全員で写真撮影もそこそこに直ぐに下り出す。
10時にはバスが出発するため4時間強かかるため時間に余裕はない。
帰りは鍵型のジグザク道のザラ場をひたすら下る。
しかし下り道からの下界の眺望は素晴らしい。
延々と下り続け、人にどんどん追い抜かれ五合目の駐車場に着いたのはジャスト10時でした。
迎えのバスはすぐに到着しあっという間に山梨県の石和温泉に向かい入浴、バイキングの昼食となりました。
帰福は21時頃となりました。
・・・達成感もありましたが、富士山はやはり日本一だけあってかなり手ごわく感じました。
そういえば母も60才の頃に涼しい顔をして「お友達と登った。」と言っていたが・・・。
老若男女こぞって上がられており、いろんな外国の登山者の多さにも驚きました。
とても濃い二日間でした。
・・・帰福後、
「あたまを雲の上に出し♪
四方の山を 見おろして
かみなりさまを 下に聞く
富士は日本一の山・・♪」
と口ずさみながら運転しております。
・・・結構、富士山のファンになったのかも・・(笑)