わしの絵を見るなら、まず賛を読んでからにしてくれ・・。

2016年5月8日

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連休を利用して神戸市の兵庫県立美術館へ「生誕180年記念 富岡鉄斎-近代への架け橋ー展」を観に行ってきました。

道中交通混雑を心配しましたが、何事もなくHATT神戸近くにある美術館に着きました。

安藤忠雄氏設計のコンクリートの打ちっぱなしのこの美術館に来たのは数回目になります。

観客も多くなくゆっくりと鑑賞できました。
 
 
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艤槎図(ぎさず)

大正13年 鉄斎89歳

艤(ぎ)は船舶の準備をすること。艤装。槎(さ)は筏。歳をとったほうが戦前の代表的な東洋学者の内藤湖南。隗をこいでいるのがその息子。洋行する内藤湖南の餞(はなむけ)として描かれた。湖南が帰国したときには鉄斎は亡くなっていた。

日本書紀に天磐楠船(あめのいわくすぶね)と言うお話がありそれが連想されます。伊奘諾尊(いざなきのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)は蛭児(ひるこ)を生んだが、三年経っても足が立たなかった。それで天磐櫲樟船に乗せて、風に従って放流したというお話だそうです。
 

絵の横に「賛」が書かれていますが、出展が中国の古典、国学、陽明学、儒学などからきており読み解くのが難解。いちいち絵に解説が書いてあり、二百点余りを観るのに大層時間がかかりました。

「万巻の書を読み万里の道を行く」(董其昌)という鉄斎の考え方により晩年まで書を読み、各地を踏破し画業が衰えることはありませんでした。

日本各地を踏破して真景図や文人の理想郷を描いた仙境図などの山水画、中国や日本の故事にちなんだ人物画、神仙画、風俗画、鳥獣画など多岐に亘り、変幻自在、幽玄静寂、括淡天真の異彩を放つ大きな画業でした。

 
 
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富士山図

自身で富士山を踏破して生涯何回も霊峰富士を描きました。
 
 

 
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寒月照梅華図

薄墨の夜に浮かぶ白い月と白梅。私はこれが一番良かったですね。
 
 
 

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瓢中快適図 

大正12年 鉄斎88歳

中国では古来、「壺中天」といって瓢箪の中に仙人の住むという別世界があるとされているそうです。

賛に「何必羨神仙」とあるのは、「神仙など羨ましいとは思わんわい。」との意。

楽しいですねw
 

 
 
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鍾馗嫁妹図

大正7年 鉄斎83歳 

こんな絵葉書も求めました。

仙人などが虎に乗っている構図が沢山ありました。
 
 
 
万巻の書に埋もれて暮らし、そこから繰り出す変幻自在、遊びのある多彩な画業は異彩を放ち続けています。
 
 

 
 

 

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