水仙

自然

水仙
 寒さに向かう中、会社の中庭に水仙の芽が日に日に伸びようとしています。
自然のエネルギーを感じさせられます。毎年寒中に可憐な花で目を楽しませてくれます。

 今日は晩秋の晴れ間で紅葉がとても美しく感じました。大阪帰りの昼下がり、荒川という高速道のPAでベンチに腰掛けながらお昼弁当を食べておりました。午後のぽかぽかした日ざしの中でPAの紅葉を眺めていますととてもゆったりした気分となりました。

 何故か中学校時代の教科書の詩を思い出しました。

   あはれ花びらながれ
   をみなごに花びらながれ
   をみなごしめやかに語らひあゆみ
   うららかの跫音(あしおと)空にながれ
   をりふしに瞳をあげて
   翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
   み寺の甍みどりにうるほひ
   廁々(ひさしひさし)に
   風鐸のすがたしづかなれば
   ひとりなる
   わが身の影をあゆまする甃(いし)のうえ     三好達治「甃のうえ」

  

十六夜(いざよい)

自然

 未明、舞鶴若狭道を南下しました。天空の西にはこうこうと十六夜(いざよい)の月が輝いていました。三田あたりでは真正面にくっきりと見えました。

 以前、同じように未明に走った時にはガスの中、天空に見え隠れする満月(十五夜)がこうこうと輝いていました。とても幻想的な風景でした。

 この道では四季折々、素晴らしい景色を見ることがあります。春の早朝、春日の三尾山(多紀連山)の山腹を走った時には朝靄(あさもや)の中、山一面にこぶしの白い花が咲いており、幽玄の世界を走っているようでした。窓を全開にして一瞬を楽しみました。

 緑影濃くなった頃には、三尾山から見る下界の景色は田植えも終わり苗が伸び「緑の絨毯」を眺めているようです。その眺めはまさに「瑞穂国」(みずほのくに)にふさわしいものです。梅雨の頃、氷上から西紀へその「絨毯」の中を抜け、青葉の生い茂った山中を走った時には、我が身が緑に染まっていくように思いました。

 早春の頃、道路脇に毎年花を咲かせ目を楽しませてくれる同じ一本の紅梅を眺めるのも良いものです。舞鶴若狭道の運転も興がつきません。

月 十六夜 三尾山より田園風景

六連星(むつらほし)

お客様

 今日は御世話様になったF自動車様の竣工式に行って参りました。

16年前にショールームを御世話になり、この度は整備工場を御世話になりました。
来賓のメーカー・銀行様、社員の皆様と共に神事を行い祝いました。
快晴でとても気持ちの良い式典となりました。

その後直会(なおらい)となり席を移し食事をご馳走になりました。
席上、メーカーの方がされている社章を見て
「星がついていますが何かいわれがあるのですか?」
とお聞きしますと
「六連星(むつらほし)といいまして、戦後N飛行機が解体されて、その内の6つの会社が合併して一つの大きな星になる・・・。」とお話しいただきました。

六連星(むつらほし)とは「昴(スバル)」のことだそうです。
「むつらほし」の呼び名は万葉集からきているそうです。
「とても詩心のある良い名前だなぁ・。」と感じ入りました。

社長様から
『ショールームの時の地鎮祭では米田組さんの先代の「鍬入れ」の姿がとてもかっこ良かったですよ。さまになっているというか・・・。今でも覚えています・・。』
とニコニコとお話しいただきました。

我々にとって、とても嬉しいお話しでした。(多謝)
六連星

和顔愛語(わがんあいご)

ブログ

 過日、商用での帰り中国自動車道の下りの名塩のSAで給油しました。大変気持ちの良い接客で手で合図しながらの車を止める時の誘導から、カードの支払い、出発の誘導まで非常に心地よかったです。

 中年と初老の男性2名が常に笑顔を絶やさず、出がけに思わず
「こんな気持ちのよいスタンドはないですね。」と声をかけました。
初老の男性は「我が意を得たり・・」というようにニッコリ頷かれました。

 9月に私事で法要がありお寺(曹洞宗)に行きました。その中でお寺さんに「修証義」という経典を渡されお寺さんに合わせて唱えました。その中に「愛語」という言葉がありました。何となく名塩のSAのことを思い出しながら読んでおりました。

 ある噺家が阪神淡路大震災の時に高座にあがらなければならないスケジュールになっていたそうです。

 「自分の家が無茶苦茶になっているのになんで自分が高座に上がって人を笑わせなあかんのや。」と思いながら向かわれたそうです。

 高座で人に笑っていただいている内に「自分の心が癒されていく。」ことがわかったそうです。
 笑顔

清家清展

建築

 東京出張の帰りに汐留の某社のミュージアムで清家清展を見て参りました。
「違いがわかる男のゴールドブレンド・・♪」で建築家としての職業を世間に広めた有名な方です。

「私の家」(ワンルーム)が実物大で展示してありました。鴨長明の「方丈記」に記述してある「理想の住まい(ワンルーム)」を図面化し比較してありました。(鴨長明が晩年、日野山に方丈(一丈四方)の庵を結んだことから「方丈記」と名づけたそうです。後に知りました!)
ワンルームの住まいは古今東西、永遠のテーマのように思います。
出来るだけ平面を仕切らずに2つのTの字だけで間仕切ってありました。舗設(しつらえ・室礼)という考え方で必要に応じてふすまや障子で間仕切るそうです。

興味深かったのは戦時中、海軍技術見習い尉官(後に大尉・海軍兵学校教官)として舞鶴に任官されていたこと。

またワルター・グロピウスさんから清家さんへの米国のTAC(グロピウスが中心となって結成したパートナーシップ)への誘いの手紙。

「今すぐ日本を出発して米国へ来れば週給100ドルを支払うことが出来ます。・・・
ここ3・4ヶ月は仕事を確保していますがその後はわかりません・・。」

「いつの時代にも後に歴史に名をとどめる方でも仕事の確保の苦労があったのだなぁ・。」と思わず共感しました。(涙)
 
ワルター・グロピウス:ドイツでのバウハウスの指導者で米国移住後はハーバード大学を舞台に建築の偉大な教育者として有名。米国における現代建築発展の基礎を作った。

バウハウス:ドイツにおける造形芸術学校。日常の生活用品を、絵画や彫刻といった純粋芸術と同じ次元のものとしてとらえ、生活空間の充実をはかった。幾何学的な形態、原色のシンプルなデザイン、素材の素直な表現といった今日のインダストリアル・デザインの原型の作品を世に送り出した。

「住宅読本」(中村好文著):建築家の著者が清家清さん宅を訪ねてインタビューするくだりがあります。
『・・清家さんは飄々とした仙人のような方で、ニコニコ顔で語られるそのお話もどこまでが冗談なのか分からず、どう受け答えしたらいいか、実はちょと困りました。ワンルームの自邸に関する清家さんのご自慢の駄洒落は「この家は室内から庭まで石貼りの床が繋がっているので、靴のまま出入りが出来て便利だったけれども、枯れ枝や、砂ボコリや、虫なんかも遠慮なくどんどん入ってくるので困った。どうかすると犬なんかもどんどん入ってきちゃうんだ・・・で、これがホントのワンルーム!」というものでした。』(笑)

清家私の家清家展ポスター清家フロ実験