健闘!!  米走道@福知山マラソン

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弊社に米走道(コメソウドウ)と言うランニングクラブがあります。

漆喰の闇夜になると会社の自転車置き場に集結しておもむろに準備体操をして明かりを求めてランニングに出発する不思議な集団です。

昨日は福知山マラソンに出場するとの事で応援に行きました。

京都から義弟も参加しました。

ヨネダリフォーム和久市店→筈巻橋→大雲橋→中のゴール前と応援しました。

設計部のU嬢、愛娘のTちゃん、米田夫婦で霧雨小雨にもめげず追っかけをしました。
 
 
和久市店の前では声をからして応援しました。

「F、F、F(名前の連呼)・・・飛ばせ~!!追い抜け~!!」

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(photographs by R.Usami)

 
 
筈巻橋では到着が遅くF君しかつかまえることができませんでした。

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(by R.Usami)
 
 

慌てて大雲橋へ急行。

「洋一さんの計算は当てにならんし・・o(`ω´ )o」

気にせず聞き流す・・・。

一生懸命に応援。

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(by R.Usami)
 

じっと待つもI君の姿がない。無念!!バスに回収されたか・・・?
 
 

・・・ゴールの時間が迫ったため中の最後の上り坂に又もや急行。

雨は本降りに近い状況となる。

スマートホンで各自の40km通過タイムをチエック。(便利ですね・・・w ICチップが各自靴に取り付けられている。)

S君、F嬢、F君、O君は既にゴール。

応援できず無念!!!

順次後続がやってくる。

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米走道は10名参加中8名の完走となりました。

1日皆で楽しく応援をしました。・・・それにしても、ニコニコとしてついてきてくれるTちゃんの可愛いこと、可愛いことw

佇む空間

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ダブリンより空路3時間フィンランドの首都ヘルシンキに向かいました。

ムーミンの故郷で有名ですね。

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随分日照時間の短い季節に入っている感じで寒く薄暗い感じでした。冬季間は日照時間が全くない時期もあるそうです。夏は逆に白夜ですね。ヘルシンキでは市の埠頭の貨物ヤード跡地のウオーターフロントの開発、年金受給者・失業者サービスセンター(高齢者の為のサービスセンター)、世界に展開するプラントのバルブ・ポンプメーカーMetso社等を見て廻りました。

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(冒頭のヘルシンキ中央駅はエリエル・サーリネンによる設計)

街の中が緑地や公園が広がっておりサイクリングロードも随分と整備されておりました。鉄道跡地のサイクリングロードもありました。

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フィンランドといえば20世紀が生んだ世界的な建築家アルヴァ・アアルトが浮かんできます。旅程が決まった時にアアルトの自邸に行ってみたいと思いましたが、旅程前後に予定が詰まっており後泊するわけにもいかず「今回は無理かな。」と思っておりました。会社の建築系の若い社員の何人かは学生時代にアアルトの作品を観に当地まで足を運んでいます。

最終日の朝方に3時間ほど自由になる時間が出来ました。アアルト邸は午後から1時間おきに公開との事で無理でしたが朝食を済ませて同行していた家内とiPad miniを頼りに歩いてカンネッピ礼拝堂(KAMPIN KAPPERI)、フィンランデイアホール(FINLANDIA−TALO)、ミュージックセンター(MUSIKKITTALO)を見て廻りました。

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カンネッピ礼拝堂は北欧産の集成材を使い微妙に外光を取り入れる静粛な空間です。フィンランデイアホールは街の中心にある美しいトーロ湾に有り風景と融和した傑出した建物かと思います。そう、民族の誇りとフィンランドの国土への愛惜が感じられ、何時までも国民に愛される建物かと思います。ミュージックセンターはちょうどその日は幼稚園児ぐらいの子供のためのコンサートが始められようとしていました。黄色の安全服を身に纏った幼稚園児たちが賑やかに先生と三々五々集まって来ました。緑色の外観と地下に広がるすり鉢状の近代的なコンサートホールでした。入江とサイクリングロードと子供たちのためのコンサート、豊かなフィンランドの人たちの考え方やデザインを大事にする国民性を感じました。

旅程の中でテンペリアウキオ教会にも行きました。

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スオマライネン兄弟によって設計されました。教会は岩をくり抜いた中に作られ、上部はガラスがはめ込まれ外光が取り入れられとても明るいです。静かなこの空間で椅子に座り佇むとなんとも言えない静粛な気持ちになります。今回の旅行の中でもしばしば教会などに行きました。ガイドさんについて歩かずにパイプオルガンの音を聞きながら椅子に座り佇みました。空間の醸し出す雰囲気をゆっくりと味わいました。

神話

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今月は旅が多く出雲に出かけた同じ週末からダブリン(アイルランド)、ヘルシンキ(フィンランド)出かけました。
 

出雲では日御崎(ひのみさき)に宿泊しました。

宿からみえる日本海の景色が絶景でした。

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翌日は先に宿の近所にある美佐伎神社(日御崎神社)にお参りしてから出雲大社にお参りしました。出雲大社の分祠の宮司様が案内役として付いて頂きました。

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碑にあります「一月一日」の歌は出雲大社第八十代宮司千家尊福(せんげたかとみ)氏の作です。
 

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ついて頂いた宮司様は自然体の磊落な方で宿では職業柄私にはなじみの深い祝詞もお教え頂きました。

宿のロビーには出雲大社にまつわる神話や古事記関連の雑誌や絵本があり興味深く眺めました。

出雲古代歴史博物館にも行きました。

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ビデオでの「神在月」(カミアリヅキ)の稲佐の浜での神迎祭も非常に興味深いものでした。旧暦の10月で今年は11月9日の夜に行われるそうです。神様たちをお迎えし11月16日には神様たちを送り出す神事が拝殿で行われるそうです。(神無月カンナヅキは旧暦10月の異称。八百万の神々が出雲の稲佐の浜に集まられる。)

ミュージアムショップがありましたので「別冊太陽 古事記」「解説 出雲国風土記」「水木しげるの古代出雲」(漫画)を求めました。

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読んでみますと随分興味深く何回も字面を追っています。
 

その後松江の小泉八雲の旧居も訪ねました。
 

「八雲立つ出雲」ですが古代の神々が当たり前のようにそこかしこにおられる感じが致しました。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る

出雲の国に降った須佐之男(スサノオノミコト)は八俣の大蛇から櫛名田比売(クシナタヒメ)を救い、姫を妻に得て、須賀の地に新婚の宮を建てた。このとき詠んだ歌。短歌の起源と言われています。
 
 
 
ダブリンへの機中も古事記、出雲国風土記関連の雑誌を読んでました。

ロンドンヒースローで乗り換えてダブリンに到着しました。日本と8時間の時差がありました。

街を歩いてみますと思っていたより豊かな国のように感じました。私の予備知識は以前に読んだ「街道をゆく 愛蘭土紀行」司馬遼太郎著ぐらいしかなく、随分とお隣の大英帝国に搾取された国、気候の厳しい地、アイルランド人の独特のユーモア感覚Dead Pan(無表情で話をひっくり返すジョーク)・・位しかありませんでした。

EU加盟により単一マーケットになり人・物・資本が自由に行き交うようになり、法人税率も12.5%と優遇されており海外からの投資環境も随分良いようです。米Google、米マイクロソフトなども主要な拠点をアイルランドにおいてます。最近ではEU当局よりの「アイルランドが米アップル社に対して違法な税優遇をしている。巨額の追徴課税をするように・・」のような話がありましたが、アイルランド当局は「払わなくて良い。当局を提訴する。」、英国がEUから離脱するのでもっと海外からの投資を集めるチャンス・・・みたいな感じです。

ハリーポッターの世界のような図書館のあるアイルランド最古の大学トリニテイカッレッジ、クライストチャーチ(次男が学生時代NZで自転車で輪行中地震と遭遇した都市と同じ名前)、ギネススタウトで有名なビールのギネス社、Googleも出資しているインキュベーション(孵化)施設のIT企業などに行きました。

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朝、ホテルの近所の公園を散歩していますとアイルランドが生んだ20世紀の著名な小説家ジェイムス・ジョイスの肖像がありました。

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調べてみますと、ジョイスの代表作の一つの「ユリシーズ」は人の意識の一日の流れを書いた実験小説として有名だそうです。ホメロスに「オデュッセイアー」という叙事詩があります。イケターの王であるオデュッセウスがトロイア戦争(紀元前12世紀とされるギリシャ神話上の戦争)の勝利のあとに凱旋する途中に起きた10年間におよぶ漂白が語られています。オデュッセウスの英名が「ユリシーズ」。ジョイスはオデュッセウスを二人の人物に複相させて、同時にダブリンの街に出現させました。22歳の作家志望の若者と38歳のユダヤ人です。二人は各々オデュッセウス(ユリシーズ)の顔を持っていて、6月16日のダブリンの街を動きまわる。ジョイスは「オデュッセイアー」の物語をたった一日に凝縮させたそうです。・・・とっても興味が出てきましたw

此処でも「オデュッセイアー」と言う神話が出てきており、我々は神話の中で生きているのかも知れません・・・・。

ダブリン、ヘルシンキは続編もありますのでボチボチ書いていきます。
 

 
 
天地(アメツチ)初めて発(ヒラ)けし時、高天(タカマ)の原なれる神の名は、天之御主神(アマノナカヌシ)。

次ぎに国稚(クニワカ)くして脂(アブラ)の如くして、海月(クラゲ)なす漂へる時、

葦芽(アシカビ)の如く萌え騰(アガ)る物によりて成れる神の名は宇摩志阿斯か(言+可)備比古遅神(ウマシアシカビヒコジ)。

次に天之常立神(アメノトコタチ)。この二柱もまた、独神となりまして、身を隠したまひき。

(「古事記」 国生み)

 

フロー

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 「フロー」とは喜び、創造、生活への深い没入過程など人間の能動的側面をあらわす言葉だそうです。スポーツでは「ランナーズハイ、ゾーンに入る」芸術家では「○○の神が舞い降りてきた・・・」等という場合があります。

 学生の頃スキークラブの合宿で野沢温泉に行っておりました。夕刻宿のペンションの前の広場にノルデイック(距離競技)のスキーを履いた小学校5年生ぐらいの女の子が息を弾ませながら真っ赤な顔をして現れました。彼女のキラキラした表情が明らかに今この時間に没頭しているのが判りました。

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 ある本を読んで最近自分の仕事やプライベートで楽しかったことを考えてみました。(M.チクセントミハイ「フロー体験喜びの現象学」)

 休日にお寺で方丈さんや檀家総代の方たちと冗談を言いながら地鎮祭をしたこと、淡路島や神戸で工場の引渡しをして先方の社長さんに喜んでいただいたこと、着工式でおみえになった1歳半の女の子と少し面識が出来地鎮祭で出会ったときに私に手を上げてくれたこと、読みかけの本を会社で昼休みに読んだこと、サイクリング車の空気圧を調整したりチエーンを植物油で掃除したこと、飼っているめだかの卵がかえったこと・・・。
 

 本の中に様々なインタビューの結果が書かれてありました。ヨーロッパアルプスの山間部の村で暮らす76歳の老女セラフィーナは「生活の中で何をするのが一番楽しいかと尋ねられたときに、ためらわず、乳を搾ること、牛を牧場に連れ出すこと、果樹園を剪定すること、羊毛を梳くことと答えた・・・事実彼女が楽しんでいたのは、これまでの生活の中でずっと続けてきたことであった。『とても楽しいのさ。外にいること、人と話すこと、家畜と一緒にいることがね・・・植物・鳥・花・動物-何とでも話をするよ。自然とは友達さね・・・。』」同じ地域の66歳から82歳の長老の10人同じ面接をしたがセラフィーナと同じ答えであった。
 

 南シカゴの鉄道車両を組み立てる熔接工のジョーの場合。「約200人が彼と供に数トンの鉄板がレールに吊り下げられて動き回り、火花を散らして貨車の台車に熔接されている三つの巨大で薄暗い格納庫のような建物の中で働いていた。夏はまさにオーブンであり、冬は平原の寒風が吹きぬけていた。(シカゴは非常に寒冷な地域)常にぶつかり合う金属の音があまりにも大きく、話をするには耳元で怒鳴らなければならない。ジョーは5歳の時にアメリカにやってきて、小学校4年で学校を辞めた。彼は30年以上この工場で働いていたが、職長になりたいと思ったことはなかった。彼はただの熔接工でいたいと主張し数回の昇進の薦めを丁重に断っていた。工場の誰もがジョーのことを知っており、彼が工場の中で最も重要な人物と知っていた。彼の仕事仲間は、ジョーなしには工場は直ちに店じまいだと言った。
 
 彼の名声は単純である。工場の全ての操業過程を熟知しており、もし必要があれば誰とでも仕事を変わることが出来た。さらに彼は巨大なクレーンから小さな電気のモニターまで故障した機械は全て修理できた。しかし人々を驚かせたのは全ての機械を直せることでなく、呼ばれた場合にその仕事を実際に楽しんでいることであった。正規の訓練を受けることなくどうして複雑なエンジンや装置の直し方を覚えたのかと聞かれたときにジョーは実に微笑ましい答えをした。子供の頃から機械に魅せられてきたが、特にきちんと動かない機械にひかれてきた。母親のトースターが壊れたときのように『もし自分があのトースターで、うまく動けなかったら自分の何処が悪いのだろうと自分に聞くんだよ。』それ以来彼は故障を知るのに感情移入的な同一化法を用い、次第に複雑な機械装置を修理するようになった。そして発見の魅力が彼を離れることはなかった。・・・ジョーは郊外の質素なバンガローに住んでおり、家の両側の宅地を二区画購入した。家の周りの空地にテラスや小道があり数百の花や低木を植える複雑な庭園を作った。地中にスプリンクラーを設置し虹を作るようになっていた。市販のものでは作ることが出来ず、自分で設計し地下の旋盤でそれを作った。仕事の終わる時間には虹を見ることが出来ないので再度設計し充分な太陽光線のスペクタルを含んだ照明灯を設置した・・・。」
 
 ブリテイッシュ・コロンビア州のインデイアンの一種族についての人類学者の記述。「シュシュワップ族の居留地は彼らには豊かな土地と考えられてきたし、現在でもそう考えられている。鮭その他の獲物は豊富であり、地下茎の根菜など地下の植物資源に恵まれている-豊穣地なのである。彼らは環境資源を極めて効率的に利用する技術を工夫しており、健康で豊かな生活を享受していた。しかし長老たちは世界があまりにも予想どうりのものになり始め、生活から挑戦が消え始めたと言った。挑戦のない生活には意味はない。 

 そこで長老は知恵を絞り、村ごとに移動すべきだと決定し、この移動は25年から30年ごとに行われた。全員が居住地の別の地域に移動し、そこで彼らは挑戦を見出した。そこでは調べなければならない新しい河やけもの道があった。バルサム(含油樹脂。接着剤、傷の治療)の根が沢山ありそうな場所があった。今や生活は意味と生きる価値を見出した。皆が若返りと健康を感じた。同時にこの移動は、長年の収穫によって疲弊した地域を回復させることにもなった。」
 
 如何でしょうか?
 
1. 自由度。自分で意思決定できること。自分で統御出来ること。学校を出て三年間余り建設会社の現場の事務屋をしました。ライトバン1台を与えられて4つぐらいの建設現場を廻りながら現場庶務をこなしていく仕事でした。基本的に事務職は一人であり所長と相談しながら事務的なことは全て自分で決定し物事を進めていくことが出来ました。慣れてくると非常に多忙な時期も有りましたが苦にすることなく動く事が出来ました。自由度が高くとてもやり易かった事を覚えています。
 
2. 仕事自体が目的化する。仕事は何らか成果(=経済的な成果)を前提に動いていくものですがやっているうちに「仕事自体が目的化」したときに仕事が楽しくなるかと思います。ある時に懇意の自治会から防火水槽の泥上げを相談されたときがありました。行って自治会の方々と話しているうちに「この仕事は自分がせなあかん。」そんな気分になりました。林道工事のときに地元から勧められた土捨て場に残土を運び込み、その残土が土砂くずれを起こし下の市道を塞ぎました。行ってみますと真っ暗の中で登光器をつけ村の方が残土の上の倒木をチエーンソーで切られており、公会堂では村の女性の方が炊き出しをしていただいておりました。自分の仕事をつくづく考えさせられた日でした。
 
3. 仲間と挑戦する。困難、現在の自分より難易度の高いことを克服する。振り返ってみますとクレームでとことん追い詰められたり、工期が詰まり昼夜兼行で仕事をしたり、会社の構造的な問題に苦しんだりといろいろありますが信頼できる仲間と曲がりなりにも克服した事が仕事の醍醐味と思います。仕事の苦しんだ時期が振り返ればかけがえのない珠玉の時間のように思います。今後も順次困難は出てくるかと思いますが仕事していれば当たり前かなと思います。
 
そんな感想を持ちました。一人一人の仕事やプライベートが楽しめれば良いですね。

灯火親しむ

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某日、篠山に向かって走っていましたら目の前の坂を栗がコロコロと転がっていきました。

「あっ・・・栗が・・・・!!」

思わず追いかけそうになりました。

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以前に若狭道を走っていましたら路肩に乗用車を停めて、路肩に落ちている栗を拾おうとしている中年の男女がおられました。

女性が靴の踵で栗のいがを取ろうとされていました。

「何か・・・のんびりした景色やなぁ」と感じました。

 
 
 
 
先日、朝食を食べながら朝刊を読んでましたら連載小説に人形浄瑠璃の「曽根崎心中」(近松門左衛門)の有名なくだりが出てました。

滅多に連載小説は読みませんが今回は伊集院静さんの「琥珀の夢ー小説、鳥井信治郎とその末裔」で挿絵も良く拾い読みしています。

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此の世の名残。夜も名残。

死にに行く身をたとふれば。

あだしが原の道の霜。

ひと足づつに消えて行く。

夢の夢こそあはれなり。

七つの時が六つなりて

残る一つが今生の。

鐘の響きの聞納め。

寂滅為楽と響くなり。
 

 
・・・思わず字面を追いました。

 
少し前にたまたま本屋で平積みになっていた「週刊誌記者 近松門左衛門 最新現代語訳でよむ『曽根崎心中』『女殺油地獄』」を興味深く読みました。

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以前に大阪の国立文楽劇場で人形浄瑠璃の近松門左衛門「心中天の網島」を見に行く機会がありました。

何も判らないなりに

「う~ん、深いなぁ・・・。」

と感じたことがありました。
 

そんなこともあり「週刊誌記者 近松門左衛門・・・」を手に取りました。
 

元禄16年4月7日大阪曽根崎の天神の森で若い男女の心中事件があった。

大阪一番の醤油問屋平野屋忠右衛門の手代で主人の兄の子にあたる徳兵衛25歳。

女は京の島原遊郭から場末の遊郭に流れてきた遊女でお初21歳。

平野屋忠右衛門は徳兵衛を妻の姪と娶わせ、支配人が駆け落ちした江戸の店を任せようと考えていた。

一方お初は豊後(大分県)の客に請け出される事になった。

愛し合う二人は前途を悲観し天神の森で心中した。

この事件を題材に近松門左衛門は一気に台本を書き上げ事件から1ヶ月後の5月7日大阪の竹本座で上演された。

人気太夫の座元の竹本義太夫、人形を扱いの名人と言われた辰野八郎兵衛の顔ぶれで物見高い大阪の人々は人形が繰り広げる情念の世界に熱狂したそうです。

世俗のホットな話題をたった二〜三週間で脚本として書き上げた近松門左衛門はまさに現代の週刊誌記者プラス日本版シェイクスピアですね。
 

 
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文庫本も買いました。
 
声を出して読んでみました。 
 
言葉がとても美しいですね。

テンポの良い節回し。

韻を踏む小気味良さ。

それと構成の深さ。

微妙な「相対の妙」が繰り込まれているそうです。(松岡正剛の千夜千冊 「近松浄瑠璃集 上・下」)

前述の有名なくだり

・・此の世の名残。夜も名残。

死にに行く身をたとふれば。

あだしが原の道の霜・・・

に対比して

冒頭(観音廻り)に

・・げにや安楽世界より。

今此の娑婆に示現して。

われらがための観世音

仰ぐも高し高き屋に。

登りて民の賑わいを。

三つづゝ十と三つの里。

札所ゝの霊地霊仏廻れば・・・

だそうです。
 

それと場の動きの妙。

①観音廻り→②生玉神社境内→③天満屋→④道行→⑤曾根崎の森
 

 
盛り上がる臨場感ある二人の心の動き。(①~⑤は舞台。)

①おはつ田舎客と観音廻り(マクラ)→②徳兵衛に会う→おはつ恨み言→徳兵衛言い訳→おはつ打明を迫る→徳兵衛長話、気苦労→おはつ激励→九平次騙り(手形の騙り)→徳兵衛激怒、喧嘩→おはつ田舎客より連行→九平次一派徳兵衛暴行→徳兵衛無念→自害の決意→③おはつ心痛→徳兵衛訪れ→下屋へ誘引(天満屋の縁の下に徳兵衛潜む)→九平次登場、悪態→おはつ心中決意→九平次慄然→徳兵衛縁の下で心中合意の合図徳兵衛おはつの足首を取り喉笛を撫で決意を伝える)→おはつ亭主夫婦に陰ながら暇乞い→脱出→④道行→梅田橋→よそ事浄瑠璃にかけて二人の愁嘆→梅田堤。おはつ未来の回向を願う→⑤人魂を見て二人の愁嘆→縊死の場所を松と棕櫚(しゅろ)に決定→おはつ二人で死ねることを喜ぶ→二人の身体を抱え帯びで結ぶ→互いに見合わせて泣く→徳兵衛叔父の親方に詫び事→おはつ父母に名残を惜しむ→両人泣き叫ぶ(悲劇性を盛り上げる)→徳兵衛おはつを脇差しで突く→徳兵衛自害
 

又、冒頭の「おはつの観音廻り」のテンポのある描写と終盤の「道行き」(二人の梅田橋から天神の森への道行き)の景色に託した二人の心理描写が素晴らしい。

「おはつの観音廻り」は動の所作と静の所作の繰り返し。

・・一番天満の大融の。大融寺。

此の御寺の。名もふりし昔の人も。

気の融(とおる)の。大臣(おとど)君が。

塩竃の浦を。都に堀江漕ぐ。

潮汲舟の跡絶えず。今も弘誓(ぐぜい)の櫓拍子に。

法の玉鉾ゑいゝ。大坂順礼胸に木札の。

普陀落や。大江の岸に打つ波に。

白む夜明けの。鳥も二番に長福寺。

空にまばゆき久方の。光にうつる我が影のあれあれ。

走れば走るこれゝ又。

止まれば止まる振りのよしあし見るごとく。

心もさぞや神仏。照す鏡の神明宮拝み廻りて法住寺。

人の願ひも我がごとく誰をか恋の祈りとぞ。

あだの悋気や法界寺。

東はいかに。大鏡寺草の若芽も春過ぎて。

後れ咲きなる菜種や罌粟の。露にやつる夏の虫。

をのが妻恋。やさしやすしや。

あちへ飛びつれこちへ飛びつれ。あちやこち風ひたゝゝ。

羽とゝをあわせの袖の。

染めた模様を花かとて 肩に止まればをのづから。

紋に揚羽の超泉寺・・・

(普陀落・・観音様の住処、あるいは降り立つとされる山)
 

順礼歌で天満出発。

朝日にうつるわが影を追うて走り、止まる→動

神仏礼拝→静

蝶の舞であちこち飛びつれ→動

「動・静」の浮き立つコントラスト。
 
 
「観音廻り」は西国三十三ヶ所巡りの大阪市内ミニチュア版。

前の出し物が神武天皇の東征記であったそうです。(松岡正剛の千夜千冊「近松浄瑠璃集 上・下」)

そのあとに生々しい心中物は余りに落差がはげしい。

皆が知るテンポの良い「観音廻り」によって皆の目を徐々に舞台に引き入れていったと思われます。

「序破急」の「序」の役目を果たしたと思われます。

心憎いまでの構成と言うべきでしょうか?

 
 

 
 

江戸時代の方が熱狂したのも判る気が致します。

大阪の「おはつ天神」とはこのことだったですね。

情念の世界を巧みに紡ぎ出す近松門左衛門。

日本の誇る素晴らしい芸術と思います。

本当の人形浄瑠璃をいろいろ見てみたいですね。
 
 
 
 
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(週刊誌記者 近松門左衛門 最新現代語訳でよむ「曽根崎心中」「女殺油地獄」より)