ふじの山

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土日を利用して会社の仲間総勢13名で富士山登山の弾丸ツアーをしてきました。

900頃に京都駅前発のツアーバスに乗り込む。

3席独立の長距離バスで楽珍そうでした。
 

が、・・・・!

高速に入っていきなり私の座っていた後部座席あたりで

「ガクン!」

という鈍い音。。

エアーサスペンションの一部が破裂。

第二東名の御在所SA(三重県)で大阪からの代替バス待ちで2時間の遅れ。
 

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気を取り直して一路、富士スバルライン5合目を目指す。

浜名湖の手前の三ヶ日から北へ向かい第二東名で浜松北~新富士まで設計速度120km、トンネル断面の大きい道路をストレス無くとばす。
 
 

だんだん富士山がみえてくる。
 

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ようよう1800頃(予定より1時間遅れ)に富士スバルライン5合目標高2,300mに到着。

いそいで着替え、夕食を済ます。
 
 

早速1900に2班に分かれて出発。(屋久島ツアーの班分けを踏襲)

(登り8合目の山小屋白雲荘まで5時間、仮眠後登頂まで3時間、下り4時間の予定。標高差約1,500m)
 

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だらだら道を6合目まで歩く。

まだ皆元気!
 

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六合目安全指導センターから地図を頂く。
 
 

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(黄色のルートを上り、波線のジグザグ道を降りてきます。)
 

センターの方から

「五合目からまだ標高差で80mしか登っていませんよ。」の声。

先はながい^^;
 

気を取り直して登る、登る。

天気予報は幸い日曜日の午前中まで晴れのち曇り。

気温は登るにつれどんどん下がる。

7合目あたりから順次山小屋が現れる。

高山病が心配。。

途中から溶岩の流れた後の岩場を登る。

両手のストックを仕舞い、両手でしがみつきながら登る。

四足(手)歩行か?

頭の上げ下げ都度にふらふらする。。
 
 

途中、鳥居荘まで来た時にもう1班が4つ下の7合目トモエ館に居る事を知る。

高山病、疲れなどでかなり難航していることを知る。

眼下をみると遠く6合目の安全指導センターの灯りが見える。

随分と上がってきたことに気づく。
 

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ようよう8合目の標高3,100mを過ぎ今夜のお宿白雲荘に到着。

時刻は24時。5時間かかったことになる。

白雲荘の前には煌々と灯りがつき多くの登山客でざわめいている。

直ちに朝の簡単な弁当をもらい2段の蚕棚のようなベットに潜り込む。

掛け布団は2人で1枚。

身体も汗で濡れているし、コンプレッションも履いているがお構いなく疲れで眠ろうとする。
 
 

1時間後M君に起こされる。

頂上付近の混雑を避けるため再度頂上に向け登攀を開始する。
 
5:09が前日の日の出故、その時刻が目標となる。

本八合目3,400mを過ぎ、再度ザラ場の坂道から足元の悪い岩場の登攀となる。

渋滞が甚だしい。

同じ班のメンバーともはぐれ、少しづつ登る。
 
 

上の方から拡声器で

「立ち止まらないでください。前ともっと詰めて詰めて。遅い人は左によって下さい。」

の連呼。

どんどん後続に抜かされる。

「もう15分ぐらいですよ!がんばって!」(拡声器)
 
 

頂上の鳥居が見えてくる。

ようようよろよろと鳥居をくぐった頃にざわめきが・・・!

ご来光らしい。
 

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頂上(標高3,776m)は登山客でごった返している。

それにしてもご来光が輝かしい。

充分に全身に光を浴びる。
 

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メンバーを探すが見つからない。。

そこへもう1班の女性3名と合流!

男性2名とも合流!

我が班のNさんは遅れていたメンバーと出会い感激して涙ぐんでいる。

同じ班の体調不良のメンバーを八合目の山小屋まで荷物を二人分背負いながらサポートし、その足で一睡もせずアニマルのような体力で我々に追いついたのでした。

仲間思いのメンバーに感激しました。
 

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(many photographs by Tomoyo Fuchikawa and Hiroyuki Murakami.)
 

全員で写真撮影もそこそこに直ぐに下り出す。

10時にはバスが出発するため4時間強かかるため時間に余裕はない。

帰りは鍵型のジグザク道のザラ場をひたすら下る。

しかし下り道からの下界の眺望は素晴らしい。
  

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延々と下り続け、人にどんどん追い抜かれ五合目の駐車場に着いたのはジャスト10時でした。

迎えのバスはすぐに到着しあっという間に山梨県の石和温泉に向かい入浴、バイキングの昼食となりました。

帰福は21時頃となりました。
 

・・・達成感もありましたが、富士山はやはり日本一だけあってかなり手ごわく感じました。

そういえば母も60才の頃に涼しい顔をして「お友達と登った。」と言っていたが・・・。

老若男女こぞって上がられており、いろんな外国の登山者の多さにも驚きました。

とても濃い二日間でした。
 
 

 
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・・・帰福後、

「あたまを雲の上に出し♪

 四方の山を 見おろして

かみなりさまを 下に聞く

 富士は日本一の山・・♪」

と口ずさみながら運転しております。
 
 
・・・結構、富士山のファンになったのかも・・(笑)

 

 
 
 

     

若い力

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8/1に来春の新卒入社予定者の内定式がありました。

8人が入社して頂くことになりました。

高等学校の新卒予定者は此れからの選考になります。

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これから1週間のインターンシップを経て来春入社して頂くこととなります。

今年は近年にない「売り手市場」の就職戦線でしたが無事弊社を選んでいただきました。

採用スタッフは感慨もひとしおですw

若い力に「乞うご期待!」ですね^ ^ 
 
 
 
 

盆休みに入る前の12日の夕刻リクレーション委員会主催のBBQ大会がありました。

社員49名家族29人の出席でした。

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毎年出会うちびっ子たちですがドンドン大きくなり名前も覚えきれなくなりました。

どんどんテーブルを廻り皆と話をしました。

会社のイベントにもしょっちゅう来ているのでお互い勝手知ったる仲ですw

四方山話の仲で

「将来ヨネダに入社したい」

と言う大層賢明なちびっ子も複数名おられましたw
 
 
 
途中にスイカ割り大会がありました。

小学校3年生で同じクラスに女の子2人男の子1人がそれぞれ社員の子弟です。

スイカ割りの都度クラスメートが

「右右、、、!左!一歩前!」

等とどんどんナビゲーションします。

(ア~、コレニハスイカモタマリマセン)

叩く前には竹で2、3回さわってから、息を整えて渾身の力で竹を振り落とします。

3人が同じ調子で順次叩き、最後に男の子が大玉のスイカを見事たたき割りました。
 
 
 
翌日まで考えてみましたが・・・・・・、叩く前に竹でスイカを触るのは来年はイエローカードにすべきでは・・・。。

若い力にたじたじになった社長はひそかに考えました。

ともかく早く餌を・・・。

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自宅で沢山のメダカの稚魚が孵化して嬉しい今日この頃です。

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母宅から貰い受けて、緋メダカと白メダカと分けて陶器の壺に入れて育てておりました。
 

最近は慣れてきて、私の姿を見ると一斉に浮上してきて上目遣いで

「どうしたん。どうしたん。今朝はおそいやん・・・。ともかく早く餌を入れとくれ。」

みたいな視線を感じるようになりました。
 

ある朝、白メダカの壺に稚魚が泳いでいるのに気づきました。

直ぐに別の藻を入れているバケツに移しました。

そこにも沢山の稚魚が孵化していました。

日々大きくなっていくのを見るのが楽しいですw

 
 
 
先日来、両丹日々新聞に鳥の消息を尋ねる広告が載っていました。

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鳥の行く末を案じられる広告主さんの優しいお気持ちが伝わってきます。

 
 
最近はお客様廻りをしていましたら、直ぐ近くの田の中でえさの小動物をあさっている鷺をよく見かけます。

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日中でも青空に向かって羽ばたく姿が優雅にみえます。

 
 
ある夜に会社の帰りに自転車を漕いでいたら、「ギャギャ!」と漆黒の暗闇の中から鳥の鳴き声が聞こえてきました。
 
「ふ~ん。何か僕へのメッセージやろか?」

と考えてしまいました。

大分以前に自宅で日曜の夜に机に向かい手紙を書いていましたら、「ホ~ホ~・・。」と暗闇の森の中から独り言のような鳴き声が聞こえてきました。

ペンを置いて、夜の静寂の中で感じ入りました。
  
 
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浜千鳥

1 青い月夜の浜辺には

  親を探して鳴く鳥が

  波の国から生まれ出る

  濡れた翼の銀の色

2 夜鳴く鳥の悲しさは

  親をたずねて海こえて

  月夜の国へ消えてゆく

  銀のつばさの浜千鳥

(作詞:鹿島鳴秋、作曲:弘田龍太郎)

 
 

 
 

屋久島ツアー

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日曜日から2泊3日で屋久島に行って来ました。

社内の研修旅行です。
  

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初日は海亀の産卵で有名な田代海岸で熱帯魚を見ました。
 

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ついつい海水パンツに履き替えて、枕状溶岩の上を靴下を履いて海に入りました。

熱帯魚の乱舞を見ました。

唖然と!社長を見下ろす社員たち。

多くのカメラの被写体となりました。

学生時代某大学水泳部のマネージャーのK女史から、

「後ろ足のブレストなかなか綺麗で良いですね^_^;」

とお褒めのお言葉を賜りました。
 
 

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翌日は旅の目的である縄文杉までの片道10.7km標高差680m往復11時間のトレッキング。
 
 

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前夜は寝不足に用心して宴会を切り上げ早めの就寝。

未明、ホテルのベランダから見上げる空の星のしじまの綺麗な事!!
 

 
455にホテルを出発して620頃荒川登山口から8.1kmにおよぶトロッコ道を歩き出しました。

ガイドさん曰く

「枕木に足をかけながら歩いて下さい。枕木の端部は苔で滑ったりするので乗らないようにして下さい。

今夜疲れてみる夢は枕木の夢になると思いますw」
 

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屋久杉の用材を運ぶトロッコ道を3時間ばかり歩きました。
 
 

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途中休憩を挟みながら、絶妙なツアーガイドさんと語らいながら歩く歩く。
 
 

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大株歩道入り口からいよいよ急勾配の登り縄文杉までの片道2.6km往復5時間の山歩きとなります。
 
 

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周りに高い山々が見えます。

なんでも、・・・九州の6番目くらいまでの高山は屋久島にあるとか。

暖かい海流の水蒸気が高い山々にあたり、月35日!らっきょののような大雨が降るそうです。

縄文杉のある高地ではなんと!年間1万mm雨が降るそうです。

当日は梅雨入りの前日で、奇跡的に終日爽やかな快晴でしたw

雨が多いために、苔が発達するそうです。

湿気が多いため杉花粉も飛ばないそうです。
 
 

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様々な形をした屋久杉がありました。
 

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途中昼食を食べて再度登りました。
 
 

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遂に1200過ぎに縄文杉に到達しました。

標高1,300m付近で樹齢7,200年(樹高25.3m、直径5.1m)とも言われるその威容は素晴らしいものでした。
 
 

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暫し撮影したり、展望台から眺めました。

早速1230頃から下りに入りました。
 
 

途中木霊に会いました。
 

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☆心の綺麗な方☆には見えるそうですw
 

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また、トロッコ道を歩く歩く。
 
 

 

imageimageimageimage(many photographs by Hiroyuki Murakami and others)
 

ようよう1720頃に帰還。
 
 

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とても疲れましたが、皆と仲良く登り達成感がありました。

雨具を新調しらっきょのような雨に備えましたが、考えられないくらいの快晴でビックリでした。

全てに感謝感謝です。
 
 

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諸々(もろもろ)

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某日都内に出張があり、早朝「のぞみ」で帰社。

東京駅のコンコースを歩くとゴミ一つ落ちてなく、掃いて清めたようになっている。

「う~ん、このオペレーションは凄い!」

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何時もどおり、品川名物貝づくし弁当を客席にてほうばる。

考えてみると、誰とも一言も話さず、パソコンでExpress予約やホテルも予約し、時間通りにかなりの頻度で精確に新幹線が動き、あれだけの乗降客がいる東京駅が朝にははいて清められたようになっている・・・・、「日本国の達成した凄さ!」ではないかとつくづく思います。

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車中にて「ギボン自叙伝 わが生涯の著作との思い出」を読みました。

エドワード・ギボン(1737-1794)は英国の歴史家で古代ローマ帝国の興亡を記した古典大作「ローマ帝国興亡史」の著者として有名です。

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著者はロンドン近郊の比較的裕福な家庭に生まれ、14歳でオックスフォード大学へ父親から入れられる。勉学は余りせず当時はやりの宗教論争に凝りだしたため、父親が心配しスイスのローザンヌのプロテスタントの牧師に預けられる。そこで語学や古典の勉学を始めた。

「・・さて私は仏蘭西語・ラテン語の翻訳に際し、大変良い方法を採ったが、自分の成功に鑑みて学生諸子も倣われるようお勧めしたい。私は先ず、キケロー、ヴェルトーのような、文体の純粋と優雅とで最も定評のある作家を選んだ。それから、たとえばキケローの或る書簡を仏蘭西語に訳し、原文を棄てて単語や熟語が記憶からすっかり消えてしまうと、今度は自分の仏蘭西文を再び自分の書き得る限りのラテン語に訳し返し、その上で私の不完全な訳文を、このローマの雄弁家の流麗・優美・端正な文章と一句一句比較した。

・・・私は、全部の書簡、全部の演説、及び修辞学や哲学の最も重要な諸論文を、一意専心且つ愉快に読破した。

・・・私は言葉の美を味ひ、自由の精神を呼吸し、彼の教訓や模範から、人間の公民として又個人としての心構えを理解した。

・・・雄弁と知慮との書庫と言ふべきこの偉大な作品を読み終へると、次にはラテンの古典を一、歴史家、二、詩人、三、雄弁家、四、哲学者、の四群に分ちブラウトゥス、サルスティウスの時代から、ローマの国語と帝国との衰微に至るまで、年代順に閲読しようといふ更に遠大な計画を立てた。そしてこの計画をローザンヌ滞在の二十七箇月(1756年1月ー1758年4月)に、殆ど遂行した。」

以前に読んだ「古代への情熱 シュリーマン自伝」シュリーマン著を思い出します。

幼い頃に読んだトロイ戦争の物語に感銘を受け、トロイ戦争は実際にあったと本気で信じたシュリーマン。その夢を実現すべく、少年時代から働きずくめに働いて蓄財し、そして語学を十数ヶ国語独学で学び文献を漁り、遂にトロイの遺跡の発掘に成功するお話です。幼年時に一緒に発掘を夢見た女性とは数日間の求婚の遅れで夢かなわず、後に結婚し一緒に夢を果たします。

その語学の取得の仕方が圧巻で、文法書によって文字と発音を覚え、文章を丸暗記し部屋を歩き廻りながら暗誦を繰り返すことによって超ハイスピードで語学を取得して行きました。

丁度、ギボンの語学の取得に似ているように思いました。

「ローマ人の物語」塩野七生著(全43巻)読んだことがあり、「ローマ帝国興亡史」もいずれ手にとって見たいという思いもあり著者のギボンの名前に反応し本屋で購入しました。「ローマ人の物語」を全部読むには3年位かかりました。その間に同じ著者の「海の都の物語 ヴェネネチィア共和国の一千年」(全6巻)や「わがともマキャベリ-フィレンツェ存亡」なども関連で横道にそれ?読みました。

最近はアマゾンで本を思い出したように買っており、購入して最後まで読まない本も多いです。新聞やネットで興味を持ちワンクリックで注文みたいなパターンですが積読(つんどく)が多いように思います(苦笑)
 
 

この本のお蔭で「ヘロドトス 歴史」松井千秋訳などの歴史書を関連で読み始めました。紀元前5世紀頃のギリシャの諸都市とペルシア帝国との抗争の歴史です。豊富な説話や風俗習慣が書かれており読みやすいです。

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・・・

後日譚。

後日本屋に行きました。

思いつくまま8冊程度購入しました。

購入した「21世紀の日本最強論」文芸春秋編に福島清彦氏が「衝撃の国連レポート『世界一豊かな日本』GDPを超える新経済統計 日本の強みは設備・インフラ力」と言う文章がありました。

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成熟した先進国がGDPで経済の豊かさを計ることからの脱却お話です。既にEUでは2020年の長期戦略についてGDPと言う言葉を使っていません。若者の学力向上や貧困者数削減などの五項目の具体的な数値目標を定めています。

新しい「物差し」は2009年に米国のコロンビア大学のステイグリッツ教授(2001年ノーベリ経済学賞受賞)が主査となってまとめました。仏のサルコジ大統領から教授に「GDPに代わる新しい経済指標のあり方を考えて欲しい」と諮問され考えられました。「暮らしの質を計る」(金融財政事情研究会)として邦訳されているそうです。

その「物差しの要素」は

①国民の頭脳能力である人的資本
②ヒトが生産した資本
③国民の信頼関係である社会資本
④農業・鉱物資源を中心とした天然資本

だそうです。

私が初夏の早朝、東京駅で「心地よい」感じたのは①と③かもしれませんね。

機会があられましたらご一読あれ。