晩秋

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某日お世話になった方のご子息ご夫妻に会社の不動産部二名と共に一席設けて頂きました。

先代には二十年ちかく前に賃貸マンションを建てさせていただいて公私ともにいろいろとお世話になりました。

一年ほど前にご逝去。

「諸々一段落ついたので・・・」とのことでお招きいただきました。
  
 
故人は私の父と同じ世代の方で生前は随分と食事に連れて行っていただきました。

骨董がご趣味で蒐集品も見せていただく機会もありました。

これは二年ほど前に見せていただいた北斎の初版本。私が北斎展を見に行った話をしたので出してこられました。

お釈迦様の一代記です。

「北斎」「卍」「老人」がみえます。北斎が組み合わせて使った号の1つです。
 
 

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秋の曝涼中(掛け軸を吊られて虫干しをされる)にもいろいろな掛け軸を見せていただきました。

やはり私が一番好きだったのは蜀山人の軸です。
 
 

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酒無量という聖人に

上戸の酒肴三十六失うて

きこえし仏は下戸なるべし

何はともあれ

照る月に鏡をぬいて

樽まくら

雪もこんこん

花もさけさけ
 

(「照る月」は「鏡」の枕詞)

 
 
随分と故人と贅沢な時間を過ごさせていただきました。

東北の旅

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先週、会社の安全衛生協力会の旅行で仙台、山形を廻って参りました。

総勢12人の心易い仕事仲間ののんびりした旅でした。

 

 

初日は松島と国宝 瑞巌寺(現在 臨済宗妙心寺派)に行き秋保温泉に投宿。

 

瑞巌寺には伊達政宗が祀られておりました。

 

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夜はコンパニオンさんを入れての大宴会?となりました。

 

 

翌日は蔵王へ向かう。

 

すっかり紅葉しており駆け足で秋が爛けておりました。

 

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残念ながら火口のお釜では雨と風でさっぱりでした。。

 

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その後山形市近郊の上山温泉のこんにゃく番所で蒟蒻料理のフルコースを食べました。

 

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全てが蒟蒻を工夫して作られておりとても美味しく雰囲気も良かったです。お客さんが大層多く賑わっていました。

 

 

上山温泉に投宿。翌日は私の親しい友人のA社長さんの案内で彼が理事長を務める社会福祉法人などの老人施設を見て廻りました。

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現在21施設960床を山形、仙台で運営中です。介護保険法施行後みるみるうちに施設を拡充されました。現在は台北近郊の街でパソコン周辺機器のメモリーで世界的に有名なT社(傘下に3つの上場企業群をもつ)と台湾のファンドと組んで遊休工場を改装して老人施設を開業する準備に入っておられます。

近々仙台市近郊で新たな特別養護老人施設も開業されます。

彼の車の車中、積もる話を随分しました。仕事の四方山話、親の介護の話・・・。これまで何回も山形に遊びに行きました。家内も連れて彼の奥様も交えて雪の天童温泉で会食したこともいい思い出です。

 

お昼は河原で山形名物の芋煮をたべました。

 

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山形県の内陸部は牛肉に醤油味、酒田市等の海岸部は豚肉に味噌味だそうです。スーパーで芋鍋の材料を買うと鍋を貸し出してくれるそうです。

 

秋は芋鍋のシーズンでいたるところで芋鍋が催されるそうです。

河原のテントの下で美味しく頂きました。

 

 

その後、松尾芭蕉の俳句

 

「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」

 

で有名な山寺立石寺に行きました。

千段余りの階段を登りました。

 

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無事山形を後にし、仙台空港から伊丹を経て帰福しました。

 

 

帰福後、A社長さんからハガキが届きました。

 

「・・・久しぶりに米田さんとお話ができて本当によかったです。米田さんとならなんでも話してしまいます。米田さんの仁徳ですね。・・・」

 

私もA社長さんとお話ができてとても嬉しかったです。

 

そういえば昨年の水害の折にはお見舞いに山形県の尾花沢の西瓜や桃等を沢山お送り頂きました。

感謝、感謝です。

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路上にて

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秋も深まって参りました。

天高く馬肥ゆる秋ですね。

今、我が家の菩提寺で墓地の法面の崩壊対策のコンクリート吹き付け工事をさせて頂いており、たまに現場に立ち寄ります。

ついでにお墓のお花の水を替えようとしたら昨日は左右の花入にカエルが居りました。先週行った時にも1匹居りましたので常駐しているのでしょうか?

 

 

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某日朝方に川北の西部開発の原石の掘削地に向かいました。

広域農道を走っておりますとセンターラインのところに「!」。

何やら蠢いていました。

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亀でした。

Uターンして車に載せて、言って聞かせて?近くの小川に放流しました。

 

 

 

某日1930頃会社の帰りがけに小学校の近所で自転車を僅かづつ押しながら歩くお婆さんに遭遇。周りはとっぷり暮れており、余りに小刻みな歩みに不審に思い声をお掛けしました。

「足首が悪うて・・・・。」みたいなお話でした。

駅前まで買い物に行かれて△△丘まで帰られる途上でした。

自転車の前後の荷台に積んである荷物を車に移し、ご本人さんは後部座席に乗って頂きました。自転車はトランクに半分入れた状態になりました。(扉を閉めていないため、警告音がずっと鳴る。。)

 

・・・ここからが家探しの始まりでした。

「××マンション」との事でしたが、暗いため仲々判らず往生しました。

 

「暗いし何処か判らんわ。。住所も番地までは判らん。。」

「買い物はいつも慣れた駅前まで行く。慣れたところが良い。人に迷惑かけたないし、自分で行く。・・今晩は一晩かけても歩いて帰るつもりやった。」

「お婆さん、荷物の中に自分の住所のわかるもの有りませんか?」

 

やっと郵便物が出てきて、カーナビやiPadminiで検索。出てこない。会社に電話をかけて探してもらい×××マンションに到着。

部屋まで荷物を運び、自転車をお持ちする。

帰ろうとすると

 

「あんたビール飲むか?」

「飲みます。」

 

奥に入って6本入りのビールを持って来られる。

 

「1本だけ頂きます。」

「そんなこと言うもんやない。」(-_-)

「盆暮れになったら送ってくるので・・・。また足りん様になったら何時でも取りにおいで。」

 

 

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ふじの山

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土日を利用して会社の仲間総勢13名で富士山登山の弾丸ツアーをしてきました。

900頃に京都駅前発のツアーバスに乗り込む。

3席独立の長距離バスで楽珍そうでした。
 

が、・・・・!

高速に入っていきなり私の座っていた後部座席あたりで

「ガクン!」

という鈍い音。。

エアーサスペンションの一部が破裂。

第二東名の御在所SA(三重県)で大阪からの代替バス待ちで2時間の遅れ。
 

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気を取り直して一路、富士スバルライン5合目を目指す。

浜名湖の手前の三ヶ日から北へ向かい第二東名で浜松北~新富士まで設計速度120km、トンネル断面の大きい道路をストレス無くとばす。
 
 

だんだん富士山がみえてくる。
 

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ようよう1800頃(予定より1時間遅れ)に富士スバルライン5合目標高2,300mに到着。

いそいで着替え、夕食を済ます。
 
 

早速1900に2班に分かれて出発。(屋久島ツアーの班分けを踏襲)

(登り8合目の山小屋白雲荘まで5時間、仮眠後登頂まで3時間、下り4時間の予定。標高差約1,500m)
 

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だらだら道を6合目まで歩く。

まだ皆元気!
 

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六合目安全指導センターから地図を頂く。
 
 

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(黄色のルートを上り、波線のジグザグ道を降りてきます。)
 

センターの方から

「五合目からまだ標高差で80mしか登っていませんよ。」の声。

先はながい^^;
 

気を取り直して登る、登る。

天気予報は幸い日曜日の午前中まで晴れのち曇り。

気温は登るにつれどんどん下がる。

7合目あたりから順次山小屋が現れる。

高山病が心配。。

途中から溶岩の流れた後の岩場を登る。

両手のストックを仕舞い、両手でしがみつきながら登る。

四足(手)歩行か?

頭の上げ下げ都度にふらふらする。。
 
 

途中、鳥居荘まで来た時にもう1班が4つ下の7合目トモエ館に居る事を知る。

高山病、疲れなどでかなり難航していることを知る。

眼下をみると遠く6合目の安全指導センターの灯りが見える。

随分と上がってきたことに気づく。
 

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ようよう8合目の標高3,100mを過ぎ今夜のお宿白雲荘に到着。

時刻は24時。5時間かかったことになる。

白雲荘の前には煌々と灯りがつき多くの登山客でざわめいている。

直ちに朝の簡単な弁当をもらい2段の蚕棚のようなベットに潜り込む。

掛け布団は2人で1枚。

身体も汗で濡れているし、コンプレッションも履いているがお構いなく疲れで眠ろうとする。
 
 

1時間後M君に起こされる。

頂上付近の混雑を避けるため再度頂上に向け登攀を開始する。
 
5:09が前日の日の出故、その時刻が目標となる。

本八合目3,400mを過ぎ、再度ザラ場の坂道から足元の悪い岩場の登攀となる。

渋滞が甚だしい。

同じ班のメンバーともはぐれ、少しづつ登る。
 
 

上の方から拡声器で

「立ち止まらないでください。前ともっと詰めて詰めて。遅い人は左によって下さい。」

の連呼。

どんどん後続に抜かされる。

「もう15分ぐらいですよ!がんばって!」(拡声器)
 
 

頂上の鳥居が見えてくる。

ようようよろよろと鳥居をくぐった頃にざわめきが・・・!

ご来光らしい。
 

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頂上(標高3,776m)は登山客でごった返している。

それにしてもご来光が輝かしい。

充分に全身に光を浴びる。
 

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メンバーを探すが見つからない。。

そこへもう1班の女性3名と合流!

男性2名とも合流!

我が班のNさんは遅れていたメンバーと出会い感激して涙ぐんでいる。

同じ班の体調不良のメンバーを八合目の山小屋まで荷物を二人分背負いながらサポートし、その足で一睡もせずアニマルのような体力で我々に追いついたのでした。

仲間思いのメンバーに感激しました。
 

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(many photographs by Tomoyo Fuchikawa and Hiroyuki Murakami.)
 

全員で写真撮影もそこそこに直ぐに下り出す。

10時にはバスが出発するため4時間強かかるため時間に余裕はない。

帰りは鍵型のジグザク道のザラ場をひたすら下る。

しかし下り道からの下界の眺望は素晴らしい。
  

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延々と下り続け、人にどんどん追い抜かれ五合目の駐車場に着いたのはジャスト10時でした。

迎えのバスはすぐに到着しあっという間に山梨県の石和温泉に向かい入浴、バイキングの昼食となりました。

帰福は21時頃となりました。
 

・・・達成感もありましたが、富士山はやはり日本一だけあってかなり手ごわく感じました。

そういえば母も60才の頃に涼しい顔をして「お友達と登った。」と言っていたが・・・。

老若男女こぞって上がられており、いろんな外国の登山者の多さにも驚きました。

とても濃い二日間でした。
 
 

 
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・・・帰福後、

「あたまを雲の上に出し♪

 四方の山を 見おろして

かみなりさまを 下に聞く

 富士は日本一の山・・♪」

と口ずさみながら運転しております。
 
 
・・・結構、富士山のファンになったのかも・・(笑)

 

 
 
 

     

若い力

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8/1に来春の新卒入社予定者の内定式がありました。

8人が入社して頂くことになりました。

高等学校の新卒予定者は此れからの選考になります。

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これから1週間のインターンシップを経て来春入社して頂くこととなります。

今年は近年にない「売り手市場」の就職戦線でしたが無事弊社を選んでいただきました。

採用スタッフは感慨もひとしおですw

若い力に「乞うご期待!」ですね^ ^ 
 
 
 
 

盆休みに入る前の12日の夕刻リクレーション委員会主催のBBQ大会がありました。

社員49名家族29人の出席でした。

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毎年出会うちびっ子たちですがドンドン大きくなり名前も覚えきれなくなりました。

どんどんテーブルを廻り皆と話をしました。

会社のイベントにもしょっちゅう来ているのでお互い勝手知ったる仲ですw

四方山話の仲で

「将来ヨネダに入社したい」

と言う大層賢明なちびっ子も複数名おられましたw
 
 
 
途中にスイカ割り大会がありました。

小学校3年生で同じクラスに女の子2人男の子1人がそれぞれ社員の子弟です。

スイカ割りの都度クラスメートが

「右右、、、!左!一歩前!」

等とどんどんナビゲーションします。

(ア~、コレニハスイカモタマリマセン)

叩く前には竹で2、3回さわってから、息を整えて渾身の力で竹を振り落とします。

3人が同じ調子で順次叩き、最後に男の子が大玉のスイカを見事たたき割りました。
 
 
 
翌日まで考えてみましたが・・・・・・、叩く前に竹でスイカを触るのは来年はイエローカードにすべきでは・・・。。

若い力にたじたじになった社長はひそかに考えました。