年末に弊社創業65年史が上梓しました。
昭和24年に土木工事の労務提供の下請負業者として先代が創業して昨年で65年の歳月が流れました。
其の間、多くのお客様、仕入先様、金融機関様、地域の皆様にご支援いただき時代、時代の風雪に耐えて参りました。
丁度、私的な用事から先代の戸籍原票を目にする機会がありました。
現住所の変遷が記載されており、先代から預かっている工事経歴と照合致しました。
当然の事ながら一致しており、
「この機会に弊社の歴史を明らかにしておこう。」
と思うに至り、社史の編纂にあたりました。
会社に残された資料や写真集め、身内や社友(会社の先輩)への聞きとりを行いました。
創業の頃の工事場所にも足を運びました。
記録に残る最初の仕事は昭和24年の京都府北桑田郡京北町鳥居での災害復旧の築堤工事でした。
山国神社の脇に飯場を構えキテイ台風で荒れた堤防の復旧工事をトロッコでしたそうです。
昭和27年に施工した亀岡市三宅町の年谷川のとしたに橋は現在も亀岡から馬堀への街道の橋梁として老体に鞭打って頑張っておりました。
65年間の資料を整理するには大分時間がかかりました。幸い先代が写真を残してくれてましたので助かりました。また法人としては52期目ですが決算書で工事経歴がよく分かり、それ以前も個人経営の時代の工事経歴も元請さまから頂いた工事経歴に弊社がさせていただいた分を鉛筆で印をしてありました。
また、母が日々手帳にあったことを簡単に記録しており、それを年ごとに大学ノートに纏めてありました。(注)
創業の頃には父母とも相当な苦労があったようです。時代もそのような時代でした。
先代と供に仕事をした会社の先輩にもお聞きしました。
感じたことは「先代を素朴に信じて懸命に土木工事、建築工事をやってこられた。」ということです。
「先代が『○○・・・』というたからしたんや。」
みたいな素朴な無邪気なお話が多かったです。
会社のN女史の力を借りながら原稿を纏めていきました。
威力を発揮したのは、iPad miniの音声入力でした。
ドンドン話しながら入力しました。
当て字もありましたが、気にせずドンドン入力しました。
出来上がってみて感じることは
1.会社の骨格・歴史がはっきりした。
2.先代と昔の従業員との素朴な信頼関係と懸命な努力が会社を生きながらえさせた。
3.反響の大きさに驚いています。母がとても喜んでくれたり、親族、会社の先輩、先代ゆかりの方々から熱い声を頂いています。
配らせて頂く先は
1.長年支えて頂いている古くからのお客さま、金融機関さま。
2.会社の先輩、従業員、従業員の両親。秋田県由利本荘市の出稼ぎの方々(昭和30年代よりお世話になった。)
3.先代ゆかりの方々。尋常高等小学校の同級生、地域の先代の友人、協力会で先代を知って頂いている会社。
4.長年商いを共ににさせて頂いている仕入先さま。
配る先を専務と相談していましたら、先代ゆかりの方々がいろいろ思い出されてきました。
愉快な話では、先代が背が低かったので、いつも行く飲み屋のマスター(この方も背が低い)に、
飲んだときに先代が
「△○ちゃん、あんた背が低いので僕が死んだらあんたに背広あげるわw」
と常々言っておりました。
その後大分年数がたって、先代他界後、△○さん宅のリフォーム工事を施工しました。
女性の担当者がとても可愛がっていただきました。
△○さんが会社に来られた折に、開口一番
「僕は先代の背広、奥さんからもろたでw」
みたいなお話をして頂きました。
勿論、△○さんにお届けします。
今日も先代ゆかりの方々を考えながら車を運転しています。
まるで自分が「時空を旅しているような気分」になりますw
(尚、「創業65年史」の一部は弊社HP上にまもなくupさせていただきます。)
(注)・・・余談ながら、母の手帳の記録は私の中学入学の頃からあります。
手帳の一覧に「洋一、朝帰り」「洋一、オールドの件、面白く」(学生時代に先代宛に来た木箱に入ったサントリーオールドを玄関で受け取り、そのまま自転車に積み福知山駅から鉄道手荷物で東京の寄宿先に送ってしまい発覚。先代に酷く怒られる。。)「7:30 S(弟)帰 反省なし」(中学3年で家出、翌朝和知の友人宅より帰宅)とありました。
当家一級の歴史資料と思われます。