明けましておめでとうございます。

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(phoptograph by Akiko Morita)

新年、明けましておめでとうございます。

ご家族お揃いで輝かしい新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。

本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
 
 
 
 
元旦に家族揃ってお雑煮を食べてると何処からともなく

「・・・まあだだよ・・・♪」

の可愛い声。

見てみるとフェンスの向こうでお隣のお孫さんがかくれんぼ。

今年も穏やかな年であることを祈っております。

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自宅でyoutubeを見ていますとアップルコンピューターの創業者のステイーブ・ジョブズ氏のスタンフォード

大学での伝説と言われるスピーチが載ってました。とても素晴らしかったのでシェアさせて頂きます。


 
 

 世界でもっとも優秀な大学の卒業式に同席できて光栄です。私は大学を卒業したことがありません。実のところ、きょうが人生でもっとも大学卒業に近づいた日です。本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。

 まずは、点と点をつなげる、ということです。

 私はリード大学をたった半年で退学したのですが、本当に学校を去るまでの1年半は大学に居座り続けたのです。ではなぜ、学校をやめたのでしょうか。

 私が生まれる前、生みの母は未婚の大学院生でした。母は決心し、私を養子に出すことにしたのです。母は私を産んだらぜひとも、だれかきちんと大学院を出た人に引き取ってほしいと考え、ある弁護士夫婦との養子縁組が決まったのです。ところが、この夫婦は間際になって女の子をほしいと言いだした。こうして育ての親となった私の両親のところに深夜、電話がかかってきたのです。「思いがけず、養子にできる男の子が生まれたのですが、引き取る気はありますか」と。両親は「もちろん」と答えた。生みの母は、後々、養子縁組の書類にサインするのを拒否したそうです。私の母は大卒ではないし、父に至っては高校も出ていないからです。実の母は、両親が僕を必ず大学に行かせると約束したため、数カ月後にようやくサインに応じたのです。

 そして17年後、私は本当に大学に通うことになった。ところが、スタンフォード並みに学費が高い大学に入ってしまったばっかりに、労働者階級の両親は蓄えのすべてを学費に注ぎ込むことになってしまいました。そして半年後、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまったのです。当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えなかった。私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。私は退学を決めました。何とかなると思ったのです。多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います。退学を決めたことで、興味もない授業を受ける必要がなくなった。そして、おもしろそうな授業に潜り込んだのです。

 とはいえ、いい話ばかりではなかったです。私は寮の部屋もなく、友達の部屋の床の上で寝起きしました。食べ物を買うために、コカ・コーラの瓶を店に返し、5セントをかき集めたりもしました。温かい食べ物にありつこうと、毎週日曜日は7マイル先にあるクリシュナ寺院に徒歩で通ったものです。

 それでも本当に楽しい日々でした。自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができたました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

 もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

 繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

 2つ目の話は愛と敗北です。

 私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。

 実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。最初の1年はうまくいっていたのですが、やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまった。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。それで30歳のとき、私は追い出されたのです。それは周知の事実となりました。私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。これは本当にしんどい出来事でした。

 1カ月くらいはぼうぜんとしていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。

 そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。

 その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。

 アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事でも恋愛でも同じです。仕事は人生の一大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。決して立ち止まってはいけない。本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。

 3つ目の話は死についてです。

 私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

 自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

 1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

 一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

 人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。

 誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

 あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。

 私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

  スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。

ハングリーであれ。愚か者であれ。(Stay Hungry. Stay Foolish.)

ありがとうございました。

(This is a prepared text of the Commencement address delivered by Steve Jobs, CEO of Apple Computer and of Pixar Animation Studios, on June 12, 2005.)日本経済新聞 電子版2015.1.2より

幸せ一杯、お湯いっぱい♪

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年賀状の添え書きをして、車を洗いに会社に来る。

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隣の弊社の分譲地で子供さんが縄跳び、自転車遊び。

・・・なんか・・・幸せな気分・・♪
 
 

年末、お客様のアンケート葉書やメンテナンス葉書に楽しい添え書きを頂いています。

「気持ちよく入浴して暖まっております。バスタブの側枠がカタカタというのが気になると主人が言っていました。又、近くに来られたらお顔を見せて下さい。一日の疲れが取れて、幸せ一杯、お湯いっぱい。

「一流のメーカーの一流のキッチンを腕のよい職人さんにつけて頂いて、なんか一流人間になった気分で毎日を過ごしています。

「○内さんの人柄の良さに感心しました。水道の件、インターネットで調べて下さったのか詳しく説明して頂き、今後気をつけようと思いました。」

「福知山市民病院から帰りに、チラシもあってか、当社(注:ヨネダ)に立ち寄り、内容的に充実した会社と関知、ご依頼、下見と見積もって頂き工事を順調に進めて頂き有り難うございました。」

「営業マンの方が感じのいい方だった。」
 
 
今年一年のご愛顧に感謝致します。

皆様お揃いでよいお年をお迎え下さい。

往来

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先日、市内某所のお客様よりお礼のお電話を頂く。

「社長さんにわざわざお便りを頂いて・・・。」

先に離れの大規模リフォームをさせていただいたお客様。

アンケート葉書に

「・・・2月にリフォーム完成、その7ヶ月後に水害に見舞われ床上48cmまで浸水しガックリしましたが、扉交換等で元通りに修復し有り難かったです。」

とありました。

お礼や「弊社の子会社もバックフォーやブルドーザーが4台水没しました。」と書いて葉書を出しました。

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最近はお客様からのアンケート葉書やお客様や廻りの方などからの頂き物の礼状を書くことが日課になっています。
 

先日は弊社の顧問弁護士であり親友のO君に頂き物のお礼状を書きました。

最近の近況も書き添えました。

また弊社をずっと前に退職した元社員もサンダルでふらりと自宅に現れて田舎から送ってきた林檎を3ヶ置いていってくれました。

少し前は市島町にお住まいの中学校時代の担任の先生が自宅の前の田んぼで採り入れた蓮根を会社までお届け頂きました。

また、私の恩人である物故されたN様の奥様も白菜や大きな大きな柚子をお届け頂きました。

それぞれお礼の葉書を出させていただきました。

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先日も2通のアンケート葉書が机の上においてありました。

お名前を見るとすぐには分かりませんでしたが、お客様履歴を見ると、お一人は趣味のテニスで存じ上げている方でした。

奥様から「工事をしているうちに、ちょこちょこと変更しましたが快く引き受けて下さり・・・。有り難うございました。」と書いてありました。

もう一方は私の叔父の紹介で以前にもお世話になり挨拶にも上がらせていただいた方でした。

簡単なお便りを出させていただきました。
 

 
 
住宅部の日報を見ますと市内で解体工事中、隣家の建物の壁を傷つけたため謝罪に上がった旨がかかれてありました。

以前から存じ上げている料理店である隣家の女将さんには元に修復することでご了解頂きました。

「社長さんにたまには食べにいらしてください。」との伝言でした。

有難いお言葉でした。
 
 
 
多くの廻りの皆様にお世話になっている弊社でありました。
 

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Flow

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・・・何年も前私と学生たちは鉄道車両を組み立てる工場を見学したことがあった。中心となる仕事場は巨大な工場で、絶え間のない騒音で話を聞くことがほとんど出来ない汚い格納庫だった。そこで働く溶接工のほとんどは仕事を嫌っていて、終業時間を待ち望んで時計ばかりを気にしていた。彼らは工場の外へ出るや否や、近所の酒場に駆け込むか、もっとにぎやかなことを求め、州境を越えてドライブに出かけた。

 だが、彼らのうち一人だけは別だった。その例外はジョーというほとんど教育を受けていない60代前半の男性だったが、彼はクレーンからコンピューターのモニターまで工場の設備の全ての部品を理解して修理できるように独学した人である。彼は動かなくなった機械が何処が悪いかを見つけ出し、再び正常に戻すことに挑戦するのが好きだった。
 
 家では彼と妻は自宅に隣接する2区画の空き地に大きなロックガーデンを築いて、さらにその中に、夜でも虹を作れる霧の噴水装置を設けた。同じ施設に働く100人余りの溶接工たちは、たとえジョーを完全に理解出来なくても彼を尊敬していた。何か問題が起こったときには必ず彼に助けを求めた。多くの人々が、ジョーがいなければ工場はすぐに閉鎖することになるだろうと断言した。

 何年もの間、私は多くの主要企業の多くのCEOや大物政治家たち、数十人のノーベル賞受賞者 ― 卓越した人生を送り、多くの点で傑出した人々 - と会ってきた。しかし、どの人生もジョーの人生よりよくはなかった。彼の人生のように、穏やかで人の役に立ち、そして生きる価値のある人生、何によってもたらされるのであろうか・・・

(Finding Flow  「フロー体験入門」 Mチクセントミハイ著 大森弘 監訳)

 

「楽しい時間」ということを漠然と考えています。

 
mail.google.com 地鎮祭

先日、春日町でお施主様と地鎮祭をさせていただきました。

地鎮祭前に小雨も上がり、涼気を含んだ爽やかな風も吹き抜けとても心地よくお祓いをさせていただきました。

式の最中、自分の意識が高揚するのがよく分かりました。
 
 
mail.google.com
 
過日、篠山の先まで外構工事のお礼に上がりました。

行ってみますと、弊社を定年で退職された元経理課長さんの娘さんのお宅でした。

別荘地のような分譲地にある嗜好の凝ったお家で「上がられますか?」との事で家の中も

見せて頂きました。

バックミンスター・フラー博士考案のドームハウスでした。

手作りのケーキとお茶をご馳走になり、暫し四方山話をして帰ってきました。

とても有難い心地よい時間でした。
 
 
 
mail.google.com 大槻君
 
「フロー状態」に入った弊社のO部長。
 
目はとろんとしている(笑)

誰に頼まれたわけでもないのに、業務後や休日に出勤してせっせと全社の床にワックスをかけてご満悦状態w
 

 
mail.google.com jinann
 
英国スコットランドへの難所、雪の山岳部を自転車で越えて、

「賭けは俺の勝ちだぜ!」

と雄たけびをあげる次男。
 
 
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(photograph by Aota)

群青の海に飛び込む弊社の住宅設計者O君。
 
 
考えて見ますと「心が高揚する時間」「ランナーズハイ」のようにスポーツやすることに集中してトロンとした時間、何か流れ(Flow)に乗ったような時間は人生のうちに時たまおとずれる事があります。
 

卑近な例ですが犬の散歩の時間に何回かありました。

以前、五月の連休に市街地を見下ろす高台まで歩きました。

何の制約もなく、薫風に吹かれながら、茫洋と市街地を見下ろしていました。

・・・突然、非常な心地よい感覚が生まれました。

 
 
あるときは冬に同じ場所まで犬と歩きました。

帰り道を下ろうとしましたら雪が細かく吹き付けてきました。

風雪にさらされ、とても心地よく、意識が高揚しました。

大きな声で歌を口ずさみながら帰ってきました。
 

♪風に向かいながら

革の靴を履いて

肩と肩をぶつけながら

遠い道を歩く
 

僕の地図はやぶれくれる人もいない

だから僕ら肩をだいて

二人だけで歩く
 

君の心ふさぐ時には

粋な粋な歌を歌いAh・・

君を乗のせて夜の海を

渡る船になろう♪

(「君をのせて」 作詞:岩谷時子 作曲:宮川泰)
 
 
 

 
 
ある秋の日、婚礼があり夕刻、犬の散歩に出かけました。

秋の日は釣瓶落としで、酔いもあり犬と一緒に座って市街地を眺めておりました。

中空には大きな大きな満月に近い赤みのかかったお月さんが出てきました。

とても幻想的な眺めでした。

暫し愛犬と呆然と眺めておりました。
 
 
 
その昔、東京で建設会社に勤めておりました。

主に横浜支店管内の建設現場の事務屋として忙しい毎日を送っておりました。

1年目が終わったところで配置換えになり、静岡県の富士市・蒲原町・神奈川県の横須賀

市追浜の現場の担当になりました。

現場の雑務全てを任され、労基署の届け出、現場の乗り込みなど自由に動かせて頂き

ました。

初めて赴任の折、新宿から小田急線に乗り小田原を経て沼津の労基署に向かいました。

その後、蒲原の駅で降りて現場に向かいました。

冬でしたが、陽光が燦々(さんさん)とふりそそぎ、富士山を見ながら現場に向かいました。

たわわに実った蜜柑の木の間の山道を歩いて上がりました。

心の中に「みかんの花咲く丘」のメロデイーが流れてきました。
 

♪ みかんの花が 咲いている

  思い出の道 丘の道

  はるかに見える 青い海

  お船がとおく かすんでる・・・♪

(「みかんの花咲く丘」 作詞:加藤 省吾 作曲:海沼 実) 
 

雑務はすべて自分の担当の為、自分の判断ですべて動け、ライトバンで移動しながら仕事

をしていきました。

ある時は時間が無く、払暁の時間に生命保険会社の貸しビル内の支店に行き、次の現場に

廻りました。ビルの守衛さんに部屋を空けた記録が残る為、支店の方に後で驚かれまし

た。

ある時は一睡もせず、富士から高速道路にのったところセンターラインが曲がって見え、

慌てて沼津で高速をおりて新幹線で横浜に向かいました。

・・・全てが自分の判断に任せていただいたため、良き上司と共に忙しくも楽しい日々で

した・・・・。
 
 
 
「心が高揚する時間」「ゾーンに入る」「Flowフローの状態」とはなんでしょうか?

1つは何物にもとらわれない、自由な意志決定。

2つめはプライベートでも仕事でも自分で決めた目標に対するチャレンジではない

かな・・・と思います。
 
 
・・・そんな時間がその人の「人生の質」(Quality of life)を決めていくのではな

いかと漠然と考えています。

 
 

 
 

愉楽(ゆらく)

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愉楽(ゆらく)とは深い楽しみの事だそうです。
 

三連休の最終日は春日町で朝から個人のお宅の地鎮祭でした。

雨が心配されましたが、丁度雨も上がり涼気を含んだ晩秋の風が吹き、施主様ご家族と機嫌よくお祓いをしました。

 
・・・・地鎮祭後小雨の中、テニスの練習に参加。

最近は調子は良いような気がしたが、1試合も勝てず早めに帰宅。

ドフトエフスキーの「白痴(idiot)」を耽読。

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面白いw

心地よい疲労感の中で、安楽椅子に背を持たせながら細かい文字の世界に引き込まれていく。
 
 
 
最近は昔読んだ本で、無性に読み返したくなる時がある。

2週間前は「エリック・ホッファー自伝  構想された真実」。

・・・本棚や物置から直ぐ探し出せるか心配でしたが、割合簡単に見つかる。

これも日曜日に早めに帰宅して通読。

簡潔な文章に惹かれる。

沖仲士の哲学者。

・・・セールスのやり方をおぼえ、主婦たちに歯の浮くようなお世辞を浴びせ始めると、オレンジは次から次へと売れていった。ある家で自分でオレンジを栽培したのかと尋ねられたが、私は農場と家族をでっち上げて、適当な作り話をした。そして、午後早々にオレンジは売り切れた。

 遅い昼食をとろう腰をかけ、かせいだ金を数えているうちに、しだいに深い疑念にとらわれ始めた。それはいままでに感じたことがなかったもの ― 恥辱だった。平気で嘘をつき、お世辞を言い、多分なんでもしたに違いがない自分に愕然とした・・・
(エリック・ホッファー自伝  構想された真実  オレンジ売り)

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この本の中の引用が「白痴」「旧約聖書」モンテーニュの「エセー」(随想録)でした。
 
 
 
数週間位前から何となく読みたくなり、寝床の枕元に同じ作者の「波止場日記」を置いてました。

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多分梅田の大型書店のコーナーでたまたま手に取ったものと思われます。

昔良く通った営業先の法人様が同じビルの中にありました。
 
 
文章の中に一行でも自分の琴線に響くものがあれば、「読んでよかったなぁ」感じられます。

また読書は「現実の時間」から「空想に遊ぶ時間」にワープ?する媒体のように感じられ

ます。

本から長く離れると、心の中が「乾いた」ようにも感じ自分が少し「バランスを崩している」と感じます。
 
 
 

・・・夜半、ふと目覚めると、古(いにしえ)の老いた賢者が私に何か語りかけてきます。寝床で彼の語りを反芻してみます・・・・