まことに日に新たに、日日新たに・・

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春がやってきました。


 
 

4/1に新年度の経営方針発表会を行いました。
 

 


 
 

優良現場の表彰では篠山店のA君が「よっしゃー❗️」と掛け声と共に壇上に上がってくれました。皆の笑いを誘い盛り上げてくれました。
 
  

 
 

新入社員と2年目の社員のY.T.A(ヨネダトレーニングアカデミー)も始まりました。6月までの長丁場になりますので体調に注意して頑張っていただきたいと思います。
 


 
 

・・・ところで・・・、今日歯医者に行って🦷痛み止めを3錠頂きました。会社に帰って麻酔が覚めてきたので痛み止めを直ぐに飲みました。
 


 

昼食を食べて残りを鞄にしまおうとしたら気前良く?プラごみ入れに捨ててしまっていました。なかなか探し出す事が出来ず、あとで勝手口から火箸を持ってきて回収しました。。

最近こんな事が多いです。。

先日は帰宅したら勝手口のところにストーブの灯油のカートリッジが置いてありました。中途半端においてあるので一瞬「なんか意味あるのかなあ・・・?」と思いましたが、身体は無意識に灯油入れのポンプのスイッチを入れてました。

「おいおい・・・❗️」

との事で、暖かくなってきたので灯油を空にする為に置いてあったそうです。。吸い込み口が灯油缶に合うポンプが見当たらないので、2lのペットボトルを切って、漏斗(じょうご)にして戻しました。(ココハワレナガラカシコカッタ・・・?)

数日前は台所の扉が開いていたので、無意識に締めました。家内が大きな鍋に筍(社員の奥様の報恩寺の実家からお裾分け)を入れてガスコンロに持っていくために開けていたそうです。

ここでも「おいおい❗️」状態になりました。

最近は自分自身が怖いです😭

寒い夜

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少し前から徒歩で通勤をしています。

二年連続人間ドックで女医さんから「少し体重のコントロールをされては?」の提案でした。

コロナ禍に入った年の問診で「どこも行けないので毎日家でご馳走を作って貰い、言わば・・・私自身が放し飼い状態でして・・・。。」

女医さんに思わず爆笑されました。
 


 
 

先日、会社からの帰路、チラチラと雪が降っている。

静かな夜に雪が舞う様はなかなか良い。

街灯を見上げると幻想的な眺め。
 


 
 
春が間も無くやってくる。

以前の節分にはちらし寿司を作ってもらった。

今年は手巻き寿司だった。

もう直ぐ庭で自生する蕗のとうが食べれる・・?

・・・歩きながら黙念とそんな事を考えている・・・。
 

 
 
某日は家に帰り着き空を見上げると寒空に下弦の月が出ていた。

これはこれで・・・いとおかし。
 
 

Good fellows

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fotograph by Akiko Morita
  
  

明けまして おめでとう ございます。

本年も宜しくお願い申し上げます。
  
  

  

 
 1月2日に郵便局に会社の年賀状を留め置きにしている為、受け取りに行きました。今年から法人での年賀状の欠礼の案内を出させて頂いた為、年賀状も例年より随分と少なくなりました。その中に弊社の顧問弁護士であり、親友のO君から何か品物が送ってこられていました。開けてみますと「イヤープレート」というものが入っていました。(昨年の干支の寅)

 娘の婚姻のお祝いでした。暮れに彼に出した手紙に「今秋は亡父の三十三回忌や娘の婚礼があった為に忙しかった・・」旨をしたためたためです。彼と奥様のお心遣いに頭が下がりました。
 
 
 

  

 
 彼は小学校、中学校の同級生で当時は随分と「鉄ちゃん」でした。小さな身体にリュックとカメラを背負い夜行列車に乗って精力的に全国を駆け巡りました。社会人となってからは、新進気鋭の弁護士として世に出、多くの書籍を執筆したり、マスメデイアにでたり、大学で教えたり、内閣府の委員会にも招請されるようになりました。大阪、東京に事務所を構え二十人近くの弁護士を擁する様になりました。

 数年前に回帰現象か?若年の頃より撮り溜めたSLの写真集を上梓しました。(大学時代には全国ほぼ無煙化)過日奥様から頂いたメールに

「・・仕事をリモートワークでこなせると、以前に比べて「移動時間」が浮きます。夫は時々現地に行く機会に、昔(中学生時代)の様にカメラを持って出る様になりました・・。」

との事です。

 友人として微笑ましい気持ちで文面を読みました。お互いに・・時の流れを感じます。

師走

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過日、京都府公館に於いて西脇隆俊京都府知事様より小職に黄綬褒章の伝達がなされました。多くのお客様、お取引先様、業界関係者様、地域の皆様のご支援ご指導、何にも増しての社員の方々の日夜を継いでのご尽力、家族の支えお陰と深くお礼申し上げます。多くの皆様方のご祝意に深く御礼申し上げます。
 


 

思い返しますと22歳からこの業界に入り旧青木建設、米田組(ヨネダ)でお世話になってきました。星霜幾年と申しますが、困難な事も有りましたが、その都度社員友人知己先輩に恵まれ助けられ楽しく仕事をしてまいりました。先月娘の婚礼が東京でありました。婚礼の結びに娘の手紙がありましたが「・・仕事の大好きなお父さん、目を光らせて仕事に向かい・・」とあり、自分にとって一番の嬉しい言葉であったと思います。
 
50歳から62歳まで地元の業界団体の長をさせて頂きました。行政機関との入札制度等の調整、大規模災害や鳥インフルエンザ、除雪等の対応がありました。丁度当時は地元で何回も床上浸水等の災害があり、行政機関の実動部隊としての出動が何回もあり34社の業界団体の仲間にお世話になりました。62歳の時に長を降りさせて頂きました。任務が無事済み淡々とした心境でした。一年ほどして車を運転している時に時たま過去の12年間を思い返す事がありました。古風と言いますか真面目と言いますか業界団体の仲間がよくぞ協力をしてくれたという思いがしみじみと込み上げてきました。自分の50歳代を心の綺麗な仲間と過ごした事が・・・私の淡い喜びです。今も業界団体の理事をしており、協会へ行って仲間とたわいない話をしているが無上の楽しみです♪(年寄りやから大事にしてもらえる・・w)

有難うございました。

 

法要

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先日、先代の三十三回忌法要を行いました。

当日は生憎の小雨でしたが無事親族19名で法要を営みました。

名古屋に嫁いだ姉妹夫婦、東京在住の甥っ子も来てくれました。

先代は甥っ子姪っ子をずいぶん可愛がりました。(両端)

夏休みは1ヶ月位名古屋から来ており、母は毎日プールへ連れて行き子供たちは真っ黒でした。

「お爺ちゃんはご飯の時は怖くて全部食べるまで部屋から出してくれなかった・・・(涙)」

確か居間の扉に彼の手の届かない処に閂のような鍵🔑がつけられていた気がします。(家内の記憶)

先代が甥っ子に出した手紙の一部(S62年)

 
 
 
折角なので先代を偲ぶ小冊子を作りました。

(・・・ずいぶん簡単にできました。アルバムの写真をGoogleカメラで4焦点で撮り合成して校正し「ネットで印刷・・・♪」に送ればあっという間にできてきました。)

改めて先代の労苦や家族や皆さんに愛された人柄が偲ばれます。

何はともあれなかなか一堂に介せない親族が集まって和やかな時間を過ごせて有難かったです。

 

 
 
・・・法要が終わってしきりに以前読んだ本の一文が思い出されました。

東の方へ修行(すぎやう)し侍りけるに、富士山をよめる
風になびく 富士の煙(けぶり)の 空に消えて
 ゆくえも知らぬ わが思ひかな

                  「西行」白洲正子著