お引き渡し

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夕刻、工場の2期の新設工事のお引き渡しの挨拶に姫路に向かう。

会社の玄関にて、先方の総務部長さんから、紙袋に入ったカボチャを頂く。

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会長さんが作られたそうです。

以前にも、チンゲンサイ等を頂いている。
 
 
工事中も、現場担当者が社長さんに、焼き肉に連れて行って頂いたり、中華料理に連れて行って頂いたそうです。
 
 
早速、会議室にて、別途工事の打ち合わせに入る。

「・・・う~ん、その部分に排水の取り出し付けといてくれたらいいわ・・・。・・・Oさんが、カボチャのお礼に、ニトリでキッチン買うてきてつけといてくれてもいいけどなぁ・・・。・・・アハハ・・・。」(笑) 

終始和やかに打ち合わせは進んでいく・・・。

・・・・・・・

退出時、玄関で皆さんに笑顔で送って頂く。
 
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帰路、バックミラー越しに見える、暮れゆく夏空が美しい・・・。

何思う・・・。

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昨年12月に64歳で亡くなられたNさん
 

先日、工務店を継がれたご子息から暑中見舞いを頂き、思い立ってお墓参りに行ってきました。

兵庫県北部のスキー場の村まで行きました。

ご自宅を訪ね、奥様にお墓への道順を地図に書いて頂きました。

「わかられますかなぁ・・?」
 
 

夏の暑さの中、木立の間の清流をみながら、細い道を辿って上がりました。
 

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おそらくNさんが作られたであろう、立派なお墓がありました。
 
 
 

線香をあげ、久方ぶりにゆっくりとNさんと話した気がしました。
 

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村を一望する高台から、Nさんは今何思う・・・。
 
 

こんこんと・・。

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炎天下、田中を吹き抜ける緑風が、心地よい。
 
 

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こんこんと流るる井堰の水に魚影を追う。
 
 
 

暑き日を  海に入れたり  最上川
 
                        松尾芭蕉

もののあはれ

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休日で、寝起きとともに、シャワーを浴びる。

ふと見やると、天井にカビが・・・。

脚立を持ってきて、偏執的に洗剤を使いカビ取りを始める。

(アマリ・・・・ビテキナケシキデハナイ。本人は夏の風物詩で、いたって爽やかだが、・・・・・。)

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「パン焼けたよ~。」の声を聞きながら、いっそう熱心にカビ取りに励む。

ようよう、スイーパーで水滴を取り、終了。
 
 
 
食卓に向かう。

・・・まじぃ~な~・・・。。

・・・フランスパンが固くなっている。

恐る恐る食べる。

・・・新入社員の時に、埼玉県の○○下水処理場の現場で、高所から墜落し前歯が欠け、義歯を入れたが、欠けやすい・・・。。

・・・明石蛸で欠けたし、食パンの耳で欠けたし・・・。

友人の歯科医師のT君に、

「前歯で硬いもの食べるのは気いつけて・・。」と言われている。

 
 
・・・ガリッ・・!!

・・・あ~やっぱり・・・。。
 
 
 
欠けた義歯の破片に、もののあはれを感ずる夏の朝でした・・・。。(笑)
 
 
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ぞっとするくらい・・・

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最近は、朝の楽しみが増えました。

日本経済新聞に連載されている、ノーベル化学賞受賞の下村脩さんの「私の履歴書」を読む楽しみです。

・・・下村さんのことは以前にもこのブログで触れました。

下村氏は軍人であった父上の勤務地の関係で、当地福知山で出生。お母さんの出身地の長崎県の諫早に疎開、長崎大学薬学部で学問の基礎を学ばれ、名古屋大学・プリンストン大学・ボストン大学で発光生物の研究の第一人者として活躍されました。

c1c54df555cb3d2cf188b5b6589a9b651-150x150(発光するGFE)

各々の時代の師に導かれウミホタル・オワンクラゲ等の研究活動を通じ、発光生物の発光メカニズムを次々と解明。なかでもプリンストン大学時代にフライデーハーバー実験所で行ったオワンクラゲからのイクオリンおよび緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見は、医学臨床分野にも大きな影響を及ぼしているそうです。
 
 

・・・読んでいて、特に強く印象に残っているのは次の一文です。
 

(名古屋大学からフルブライト留学生として、プリンストン大学のフランク・ジョンソン教授に招請され渡米。「オワンクラゲの発光メカニズム」というテーマを与えられ「光るタンパク質」を発見し、大きな成果として帰国后・・・。)
 
 

「・・・気になっていたのは、私がオワンクラゲから発見した発光タンパク質のイクリオンのことだった。その発光メカニズムが分からないままだと、単なる奇妙なタンパク質に過ぎないことになる。

・・・米国に再び渡って、生物発光の研究に専念したいとの思いが募った。

 ただ最初に訪米した時と事情は大きく違う。名古屋に戻った翌64年には、長男が生まれていた。・・・実際のところあと数年で教授にしてもらえるはずだった。一方米国に行くと、研究費を自分で獲得しなければならないので、研究を続けるのは大変なことである。

 ほぼ3年ごとに研究費の申請をしなければならず、その更新に失敗すれば、即失業となる。厳しい競争会の中で、研究費を獲得していくのには困難が予想された。
 
 妻に相談をすると「あなたの好きなようにして下さい」という返事だった。それで、米国に戻ることを決めた。米国東南部の大学からも招請があったが、結局、フランク・ジョンソン教授のいる古巣のプリンストン大学に行くことにした。

 今考えると、ぞっとするくらい、リスクのある決断だった。それが出来たのは、私たち夫婦がまだ若かったのと、生物発光の研究を自らの手で進めたいという執念ゆえのことだった。

                             日本経済新聞 2010年7月19日 朝刊