払暁、上京す。余は業界団体の挨拶廻りに同行せり。
早朝、新橋駅よりM電工汐留ミュージアムへ徒歩。霧雨肩に降りかかれり。秋色濃し。
「村野藤吾-建築とインテリア」展を拝観す。氏は日本生命日比谷ビル(日生劇場)・広島世界平和記念堂・ウェスティンホテル(旧都ホテル)京都佳水園等常に本邦建築界で重要な位置を占めり建築家なり。
興引きしは戦前の豪華客船「あるぜんちな丸」の船室や食堂の艤装なり。モダンかつ繊細なデザインに嘆息す。
直筆の原寸図等、興は尽きず。
午後、監督省庁のT大臣に面談す。京都のO会長・S専務理事・余の3名なり。T大臣は磊落・意気軒昂なり。
「米田さん、おいくつになられました?」
燈刻、横浜K駅に廻り、T嬢の父君の通夜に参じる。細雨糸の如し。往路車中にて訃報を思い出しぬ。T嬢は余の学生時代のスキー部同期生なり。もう一名のY嬢にも邂逅す。両名卒業以来なり。
遺影の前で焼香す。
「すっかりお父さんになっちゃって・・・。」
「また、ゆっくりな・・。」(笑)
滞在数刻で車中の人となりぬ。
余、京都下車時、横目に若き婦人、幼児2名と降車おぼしき風・・。
幼児1名は母の手の中で眠りぬ。兄は2歳位なり。サンダル履きて座席の上に立てり。
・・母は注意せぬか・・??・・
大きし荷物と乳母車あり。
・・!・・
「お持ちしましょうか?」
乳母車を持ちて、下車す。
「有り難うございました。」
弾ける笑顔で謝す。
「僕・・・、危ないでお母ちゃんについときなよ。」(微笑)
疲れし身体に・・・淡き喜び生ず。