「う~~ん・・・。」となんともいえない深い感慨が胸からこみ上げてきました。
今度着工する国道9号の福知山大橋(現道2車線を4車線にするための橋)の実行予算会議終了後のことです。
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「鋼材が1週間で○万円値上がりして・・・。」(嘆息)
「現場の品質目標は、役所の規格値に対して、社内目標はより厳しい値の規格値・・cm以内でやります。」
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会議終了間際に、私が発言しました。
「・・現道の国道9号の福知山大橋は、昭和39年に米田組が飛島土木(現在の飛島建設)の下請けとして、施工したんやで・・。先代がやった橋の真横に同じく橋台・橋脚をつくっていくわけや・・。丁度43年目や・・。僕が7歳位の時に国道9号の緑が丘のところで歩道の縁石の上で姉と撮った写真が、家のアルバムにあるわ。・・・・・感慨深いわ・・・。・・しっかりやらんと先代(17年前他界)が出てきて、どやされるで・・・・。」(笑)
「・・米田組の旧社屋の用地は飛島土木の現場事務所の跡地や。その後も付き合いが続いて、当時の現場所長の○上さんが僕の仲人や。・・・私の母いわく、飛島の人はお酒を飲んで飲んで・・・、ホルモン食べながら、仕事で疲れて寝てしまって、また目が覚めて飲んで・・・。」
昭和39年竣工 国道9号福知山大橋
国道9号 福知山大橋から自衛隊下交差点
国道9号 南岡
南陵中横より駅南を望む (緑が丘)
この工事の担当をU課長がします。
彼が20才で専門学校を卒業して、一現場補助で付いて、次の現場でいきなり責任者として堀口の法川橋を担当しました。鋼矢板等の打ち物もあり、先代が毎日のように現場に行って、彼にあれこれと声を掛けました。
我々が1年目で「大丈夫か?」と心配しましたが、腕のかたい男で、しっかりと納めました。
その後、法川橋の続きの擁壁工事も彼が施工しました。通称「ぼうず抜き」と言われる鋼矢板を引き抜く工法が工事の中にありました。その為に、先代が、H型鋼の上下に滑車をつけて、100トンのクローラークレーンで鋼矢板を引き抜く器具をを会社の加工場で作りました。彼がその機械を指揮して、鋼矢板を引き抜いていきました。
・・・その彼が43年後に先代がした仕事の真横で、同じ橋脚を、将来の米田組の土木部を担うであろう若いF君やY君を従えて施工することに・・・つくづく深い因縁を感じます。
先代・私・姉
(今「ぼうず抜き」工法のことを気になって調べてみますと、ワイヤーを引っ張る距離と引っ張る力の積が一定であれば、ワイヤーの引っ張る距離を長くすれば、動滑車を使うことにより、より小さな力で同じ引っ張る力を得ることが出来るそうです。。ハイ。)