こじろうくん

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老婆宅配便の○○ヤマトの営業所に、以前「こじろう君を守ろう」と交通安全の標語が書いてありました。「こ」は子供「じ」は自転車「ろう」は老人だったと思います。

早朝会議があり、7時前に会社に向かっていました。駅南の9号線で中央分離帯とオレンジ色の車線の規制ポールの間を鳥取方向に乳母車を押していくお婆さんが目に入りました。

「あっ!」と思いUターンしました。

当社の駅南店のPLUS+YONEDAに車を止めて、お婆さんのところに行きました。

80歳をゆうに超えた腰の曲がったお婆さんで、乳母車には杖も載ってました。

「どこまで行きよってんですか?」

「厚中問屋町まで・・・。王将のところや。孫の家にいくんや・・。」

「ここは歩くとこちがうし、危ないですわ。」

「ふ~ん・・??」

「そっちへ出ましょか・・?」

ということで、歩道まで一緒に出ました。

「いけますか?乗せていきましょか?」

「ここずーと行くし、いけるわ・・。」とのことでお別れしました。

別れ際、笑顔で会釈していただきました。

                         

柳色 新たなり。

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牡丹 雨中夜半からの強い雨が、朝方も降り続いておりました。明け方の寝床の中で雨音を聞きながら、こんな想像をしていました。・・・こんもりと盛り上がった、山々の新緑の木々が、ゴクゴクと音を立てて、気持ちよさそうに水を飲んでいるやろなぁ~・・・。

出社しますと、○内君がずぶ濡れになりながら自転車で颯爽と到着しました。彼の姿を見て、皆から一斉に「お~!」という歓声。

花壇に行きますと、心待ちにしていた牡丹が華やかに咲き出しました。
しばらくは次々と咲く牡丹の世話に明け暮れそうです。

八重桜 雨中

送元二使安西 
                唐 王維 

渭城朝雨裛輕塵,
客舎靑靑柳色新。
勸君更盡一杯酒,
西出陽關無故人。

元二の 安西に使(つかい)するを  送る

渭城(いじょう)の朝雨  輕塵を 裛(うるお)し,
客舎 靑靑  柳色 新たなり。
君に勸む 更に盡(つく)せ  一杯の酒,
西 陽關(ようかん)を 出づれば 故人 無からん。

袖(そで)触れ合うも・・・。

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スピードカメラ「○淵君、交通違反はあまりしないですか?」

「ええ・・・。」

「恥ずかしい話やけど・・・、一昨日反則点数が累積△点になり、舞鶴で終日短期免停講習うけてきたんや・・。免許取って30年になるけど、初めての免停や・・。年齢がいって、唯我独尊みたいな運転になってしもて・・・。ふぅ~。」

旧知のお客様に、同行営業した帰りの車中の話です。(帰りにシャブリの白ワインを頂きました。)

「どうやって、注意しとる??」

「スピード違反については、アクセルペダルを絶対に制限速度の10KM以上は踏み込まなくなりました。身体が覚えたんですかね。・・制限速度までなら急な飛び出しにも対応出来るし、仮にぶつかっても、ダメージが少ないですし・・・。豊岡行きの時は、信号がないですし、僕がゆっくり走るので、車が数珠繋ぎになります。登坂車線のところで、追い越されるときに鬼のような形相で睨みつけられますが・・。着く時刻はそんなにかわらへんですよ。」

「えらいなぁ・・。身体が覚えたんか。・・制限速度なら確かに安全やね。講習で聞いたけど、ぶつかった時、時速40KMやったらビルの6Mの高さから落ちた衝撃やけど、60KMやったら14Mの高さからの衝撃らしいで。」

「講習で隣に座られた、70才のお爺さんと親しくなって・・・。『これも何かの縁ですから・・。』と話しかけられて・・。昼休みに小川沿いを散歩されて花を2本手折ってこられて机の上に置かれて、『これを眺めて心を慰めて下さい』と言ってくれはったんや。・・丁度舞鶴の現場に○内君が通っているので、迎えに来てもらって、ついでなので、三和町の大原神社の前まで二人でお送りししたんや。・・これが頂いた名刺やけど・・。別れ際に『じゃあ・・、お互いに安全運転で・・。』と言って別れたんや。まぁ、僕がいえる身分や無いけどなぁ。(笑)」

・・

会社に帰って、直ぐに電話を受けておりました。

「社長・・、○林さんです。」

「??」

受付に行ってみますと、先ほど話した、講習で隣に座られたお爺さんが、わざわざお見えになり、タマネギやお菓子やお手紙を頂きました。

「袖触れ合うも他生の縁」ですね。感謝。

お礼

山わらふ

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里山 桜2日曜日に三和町まで遊びに行っていました。夕刻帰る道すがら、ここ彼処に散り始めの桜が見られました。

遠くには山全体が新緑で盛り上がりつつある中の山桜、里山には、よくぞ植えたと思うほどの桜の古木の数々・・・。

萩原あたりの里山の桜もとてもいい感じで、味わいのある景色でした。丁度、漫画の「日本昔話」に出てくる景色のようでした。懐かしい眺めでした。

福知山IC付近の桜も、しだれ桜もあり、贅沢な景観でした。もう10年もすれば、鬱蒼とした森の中のICになるようです。自衛隊の桜ももちろん年期が入っていていいですね。

結局家まで飽くことのない桜の眺めが続きました。

我々の身体の中に「春→桜→いとをかし」の遺伝子が入っているようですね。

 春はあけぼの。やうやう白くなり行く、山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。 

 夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。

                             「枕草子」清少納言

因縁

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「う~~ん・・・。」となんともいえない深い感慨が胸からこみ上げてきました。

今度着工する国道9号の福知山大橋(現道2車線を4車線にするための橋)の実行予算会議終了後のことです。

・・・

「鋼材が1週間で○万円値上がりして・・・。」(嘆息)

「現場の品質目標は、役所の規格値に対して、社内目標はより厳しい値の規格値・・cm以内でやります。」

・・・

会議終了間際に、私が発言しました。

「・・現道の国道9号の福知山大橋は、昭和39年に米田組が飛島土木(現在の飛島建設)の下請けとして、施工したんやで・・。先代がやった橋の真横に同じく橋台・橋脚をつくっていくわけや・・。丁度43年目や・・。僕が7歳位の時に国道9号の緑が丘のところで歩道の縁石の上で姉と撮った写真が、家のアルバムにあるわ。・・・・・感慨深いわ・・・。・・しっかりやらんと先代(17年前他界)が出てきて、どやされるで・・・・。」(笑)

「・・米田組の旧社屋の用地は飛島土木の現場事務所の跡地や。その後も付き合いが続いて、当時の現場所長の○上さんが僕の仲人や。・・・私の母いわく、飛島の人はお酒を飲んで飲んで・・・、ホルモン食べながら、仕事で疲れて寝てしまって、また目が覚めて飲んで・・・。」

福知山大橋

昭和39年竣工 国道9号福知山大橋

福知山大橋より自衛隊下交差点

国道9号 福知山大橋から自衛隊下交差点

国道9号南岡

国道9号 南岡

R9号南陵~駅南

南陵中横より駅南を望む (緑が丘)

この工事の担当をU課長がします。

彼が20才で専門学校を卒業して、一現場補助で付いて、次の現場でいきなり責任者として堀口の法川橋を担当しました。鋼矢板等の打ち物もあり、先代が毎日のように現場に行って、彼にあれこれと声を掛けました。

我々が1年目で「大丈夫か?」と心配しましたが、腕のかたい男で、しっかりと納めました。

その後、法川橋の続きの擁壁工事も彼が施工しました。通称「ぼうず抜き」と言われる鋼矢板を引き抜く工法が工事の中にありました。その為に、先代が、H型鋼の上下に滑車をつけて、100トンのクローラークレーンで鋼矢板を引き抜く器具をを会社の加工場で作りました。彼がその機械を指揮して、鋼矢板を引き抜いていきました。

・・・その彼が43年後に先代がした仕事の真横で、同じ橋脚を、将来の米田組の土木部を担うであろう若いF君やY君を従えて施工することに・・・つくづく深い因縁を感じます

先代・洋一・姉

先代・私・姉

(今「ぼうず抜き」工法のことを気になって調べてみますと、ワイヤーを引っ張る距離と引っ張る力の積が一定であれば、ワイヤーの引っ張る距離を長くすれば、動滑車を使うことにより、より小さな力で同じ引っ張る力を得ることが出来るそうです。。ハイ。)