最近、塩野七生さんの本に凝っています。
「ローマ人の物語」に続き「海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年」を愉しく読んでいます。
海洋都市国家ヴェネツィアが、資源も何もない中、大航海時代を前に、ライバルジェノバとつばぜり合いをしながら、やがて宿敵トルコと対峙し、交易国としての覇を唱えた一千年間歴史を描いています。
ヴェネツィアの男達は、ヴェネツィアという都市国家の共同体の為に、存亡をかけて人智をを結集し、千年という長き歴史を刻みました。
アドリア海に海の高速道路網なるものを整備し、交易にいそしみ、いざ事あれば、軍務に就く貿易商人達。
表紙の絵について、塩野は言う。
・・・この巻で紹介するのは「手袋をもった男」という題でしか知られていないが、おそらくは三十代と思われるヴェネツィア男の肖像。肖像画家としては最高とされたテッツィアーノの作品の中でも一、二を争うと思われる傑作だが、何を仕事にしていたのだろうかと、見るたびに好奇心を刺激される作である・・・
並行して、「我が友マキャヴェッリ フィレンツェ存亡」も読み始めました。
近代政治学の古典「君主論」の作者として有名です。
16世紀のフィレンツエ共和国に生まれ、書記官として共和国の歴代の権力者に仕え、その素顔間近に見て政治と統治の本質を思索した文筆家。
母国の存亡をかけ、第二書記官として東奔西走し、ついには書記官(日本の官房副長官くらい?)の職を四十四歳の若さで解かれる。隠遁し、「君主論」を記す。
隠遁後の友人への手紙
「・・・ここでは、日の出と共に起き、森に行く。そこでは樹を切らせているからだ。森には、二時間いる。これまでの仕事を再検討したり、作業夫たちと過ごす・・・
・・・その後で道にもどって居酒屋に行く。そこでは旅人と話す。彼らの国の新しい出来事をたずねたり、彼らの口からもたらされる情報に耳をかたむけたりする・・・
・・・そんなことをして過ごすうちに、昼食の時刻となる。家に帰り、家族と卓を囲み、この貧しい山荘とわずかな財産が許してくれる、食事をとる。
・・・食事が終わると居酒屋にもどる。・・・この連中と一緒に、わたしはその日の終わりまで、クリッカかトリッケ・トラックをしながら、ならず者になって過ごす。カードやサイコロがとび交う間というもの、一千の争いが生まれ、罵詈雑言が吐かれ、考えうるかぎりの意地悪がなされる。ほとんど毎回金を賭けているから、われわれのあげる蛮声は、サン・カシアーノの村までとどくほどだ・・・
・・・夜がくると、家にもどる。そして、書斎に入る。入る前に、泥やなにかで汚れた毎日の服を脱ぎ、官服に身に着ける。
礼儀をわきまえた服装に身をととのえてから、古(いにしえ)の人々のいる、古(いにしえ)のと宮廷に参上する。そこでは、わたしは、彼らから親切にむかえられ、あの食物、わたしだけのための、そのために、わたしは生をうけた、食物を食すのだ。そこでのわたしは、恥ずかしがりもせずに彼らと話し、彼らの行為の理由をたずねる。彼らも人間らしさをあらわににして答えてくれる。
四時間というもの、まったくたいくつを感じさせない。全ての苦悩は忘れ、貧乏も恐れなくなり、死への恐怖を感じなくなる。彼らの世界に、全身全霊で移り棲んでしまうからだ・・・
ダンテの詩句ではないが、聴いたことも、考え、そしてまとめることをしないかぎり、シェンツァ(サイエンス)とはならないから、わたしも、彼らとの対話を『君主論』と題した小論文にまとめてみることにした。そこで、わたしは、できるかぎり、この主題を追求し、分析しようと試みている。
君主国とは、なんであるのか。どのような種類があるのか。どうすれば、獲得できるのか。どうすれば保持できるのか。なぜ、失うのか・・・」
冒頭に塩野は言う。
・・・ここで、十五年来の私の疑問を披露する気になった。というのはマキャヴェッリは、飲める口であったかどうか、ということである。
彼の著作のどこを探しても、手紙も眼を皿のようにして読んでも、酔っぱらったとか飲みすぎたとか記した箇所はないのである。
・・・母方の財産であったらしいこのセカンドハウスは、上質な酒の産地のまっただ中にある。そして、ここがもっとも疑問なところなのだが、体質的に酒をうけつけない男に、あのクールにして燃えるような文体をつくりだせるものであろうか・・・
・・・少し読んだだけで、どんどんひきこまれていきます(微笑)