社長ブログ

牡丹

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会社の中庭に牡丹が鮮やかに咲きました。

亡くなられた金融機関お勤めだったSさんに以前苗を沢山持ってきて頂きました。

毎年沢山の株が咲いていましたが毎年の草刈りで誤って株を切ってしまい。とうとう数株になってしました。。

「米田・・・、これやるで植えとけや。花は目立つとこに植えんと門を入って表から見えんとこ植えたら中が華やかなんでええんやど。丁度背広や和服の裏地が華やかなんが綺麗やでのう・・・。・・・枝切ったら切り口を焼いといたれよ・・・。花が終わったら花弁を切ってしまってお礼肥(こえ)をしといたったらまた来年咲くでのう・・。」

そんな感じでいただきました。

32歳の時に会社を継いで随分とSさんに助けて頂きました。様々な人もご紹介頂きましたし、経営の根幹の考え方を折りに触れ教えていただいた気がします。晩年は親戚の口うるさい叔父みたいな感じでした😅社員も皆仲良しでした。

家で沢山の漬物とへしこを作られ、弊社の社員に「お〜い。取りにこいや。皆んなに配れや・・・。」
と毎々に頂きました。ご自宅にリフォームに行っていた女性社員は「奈良漬嫌いです。」と断固断った笑い話もありますw

今日は丁度命日で牡丹を切って奥様に届けました。随分と喜んでいただきました。合掌。

 
 

伏見十石舟

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4月に入り新入社員が入社されました。

3日間の新入社員研修が終わり、引き続きYTA(ヨネダトレーニングアカデミー)が始まりました。集合教育と専門教育があり約3ヶ月の長丁場となりますが頑張っていただきたいと思います。
 


 

 
 
新年度の入り慌ただしい合間に伏見区南浜町の事務所兼倉庫工事の現場に行ってきました。月桂冠さんの本社の前であり直ぐ近くには歴史の舞台となった「寺田屋」があります。薩長同盟の会談を斡旋直後寺田屋投宿中の坂本龍馬が伏見奉行に囲まれ、お風呂に入っていたお龍さんの機転で逃げ薩摩藩に匿われた場所です。
 

 


 

生憎小雨がパラパラしており桜も満開までには至っておりませんでした。近所のコインパーキングに車を置いて歩いていくと宇治川派流があり多くの方々が観光にみえておりました。史跡豊かな場所ですので何時も人出が多いです。近くには伏見港公園もあり小椋池から宇治川ー淀川と伏見は大阪との間の水運が盛んであった事が感じられます。
 


 

 
歩いていますと派流が波立つので早足で後を追いますと伏見十石舟(屋形船)がお客様を乗せて遊覧しているようでした。
 


 
 
現場に行きますとお昼休みで職人さんしかおられず近くのマンション内の事務所まで行って3人のメンバーと四方山話をしてトンボ帰りで帰ってきて新入社員研修に臨みました。

 

 

金柑

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先日所要で鹿児島まで行って来ました。
鹿児島に行くようになって実に30年になります。懐かしい経営者仲間にもお出合いしたり、お世話になった鹿児島の社長さまのお墓参りにも行ってきました。コロナ禍の合間に家内と行こうとしましたが、第◯波が来て果たせませんでした。少し忘れていた宿題を果たした気分でした。
帰りの鹿児島空港で地元村の特産市をやっており、ワゴンに積まれたネットに入った金柑を一袋買って帰りました。
 
 

 
 
翌週人間ドックで京都泊となり、翌朝所用で東京へ向かいました。
新幹線車中では朝、ホテルで洗った金柑を本を読みながら座席でちょこちょこ食べておりました。金柑が家で食べたらあまりに美味しかったので持参しました。
袋の中からゴソゴソと金柑を出したり種を捨てたりで、風変わりに思われたかもしれません😅お隣の方も私に触発されたのか鞄からチョコレートのようなものを出して時折食べておられました。
 
 

 
 
1泊して翌日の帰りに京都駅では小雨の中「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」(ミズカゼ)に遭遇しました。コートを羽織って和服で正装された御婦人が3名乗り込まれるところでした。女性の乗務員の方がおられたので「撮らせてもらって良いですか?」と声をかけシャッターをきりました。JR西日本とおぼしき方が「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」の小旗を持って見送りに来ておられました。声をかけたら気持ちよく写真に応じてもらいました。

 
・・・昨年西部開発の社員旅行で博多駅ではクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」に遭遇しました。
 
 

 
 
JR九州では物々しい感じでホームに赤いカーペットが敷かれており、勇壮な太鼓で出発を見送っておられました。

見送りのJR西日本とおぼしき写真の3人の方に提案してみました・・・。

「JR九州の『七つ星』では太鼓で見送っておられましたよw皆さんも今から太鼓叩いたら如何ですか?」

3人の方、呵呵大笑❗️
 
 

 
 

物証

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立春となり少しづつ春が近づいてきています。立秋の朝は休日でしたので例年よりゆっくり目に起きてお札書きをしました。家の中や各お店に貼るようにしました。

 
 

ある朝出勤しようとするとゴミ出しから帰ってきた家内に

「ちょっと来てみ・・・。」

と呼ばれました。ついていきますと家の前の道路に赤い鳥のフンらしきものが点々と付いていました。上を見ますと電線に沿って点々と連なっていました。

 

 

前日まで玄関の梅もどきがかわいい蕾😍を沢山つけていましたが、一日で綺麗さっぱり無くなりました。。下手人は大体目星はついています・・・😥

香ばしい時間

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謹賀新年。本年も宜しくお願い申し上げます。

 お正月休みの間一度読んだ「フラジャイル 弱さからの出発」松岡正剛著をゆっくり読み返しておりました。その連想ゲームから「少年の憂鬱」松岡正剛著、「幼なごころ」ヴァレリー・ラルボー著にいきつきました。

 

 

 ・・・八月の空の下、庭のはずれから畑が広がっている。まずは平に広がり、ついで正面の丘を登っていくのだが、そちらの方角の視野はその丘で閉ざされている。丘の背に一軒の農家、褐色の屋根の、白く長い建物。白い空を背景に、その農家は本の挿絵のように小さく見える。

 「あの農家は私の領地の外になっていましてね」ラビー氏は客たちに言う。彼は謙遜している。ー人は何もかも所有するわけにはいかない。

小作人のドヴァンセがげらげらと笑う。そしてごっつい指をしょっちゅう口にあてながら喋る。その仕草が彼の口ぶりに重みをつける。

「・・・ラビーの旦那がその気になりゃ、あんなものいつだってものにできますよ。なにしろあの暮らしぶりじゃ。冬はムーランでの賭け事。夏になればリーブクレーブで、こう言っちゃなんだか、もっぱら女遊び。ラビーの旦那、何も急ぐことはありゃしません。二年もしないうちに、パンの一切れもやれば、みんな旦那のものになりますよ」「なにもかも抵当に入っているという話だ」ラビー氏はつぶやく。

 八月の二十九日で八つになるエミール・ラビー、その後日付が人生に大変化をもたらすはずだと信じ込んで指折り数えているエミール・ラビー➖愛称《ミルー》が、ドヴァンセに話しかける。

「いいかい!あの農家は来週ぼくがのくのぼくのお金で買い取るんだ。ぼくは大人になるんだから!」

 自分の言ったことを誰ひとり気にも止めないのでミルーはいらいらし、ドヴァンセの声にかっとする。ぽってりした赤ら顔の、この鈍重な男が大嫌いなのだ。こいつをののしってやろうと思って言葉を探す。しかし適当な言葉が見つからない。ドヴァンセの鈍重さとまわりを飛び交う言葉の言葉の重々しさに圧し潰されそうだ。あんな話はちんぷんかんぷんだ。儲けだの損だの・・・。ああ!すべてに絶望したまさにその瞬間に、彼は見つけるー

「ぼくはね、大きくなったらグルネの息子とおなじことをやるんだ。何もかも食いつぶしてやる!麦藁の上で死ぬんだ!」・・・

 ・・・それにしてもパパやママの友達ってどうして訳のわからない醜い話ばっかりするんだろう?家畜だの賃貸だの用益権だの契約だの抵当だの。それに大人たちがそういう言葉を口にするときの独特な口ぶりときたら!ミルーはお偉方にビンタを食らわせたくなる・・・用益権(ユズユフリイ)は、草の上に落ちてしわしわになって割れて、十一月の雨に打たれて腐ったリンゴだ。抵当(イポテーク)は、白い家の正面に組まれた、真っ黒なおぞましい足場・・・

 大人の話に耳を貸すのはもうやめようとミルーは決心する。自分の腰かけているベンチの上で少し後ずさりして、ダンパとちっちゃなローズのための席を作る。ふたりは目に見える存在ではないが、ドヴァンセだのパパの友達だのにくらべれば、はるかに関心を注ぐに値する。

 ダンパはミルーの親友であり兄弟だというだけでは足らない。彼はミルー自身なのだ。ただ、目に見えず大人になっている。つまり現実から解放され、未来に投影された彼自身だ。ダンパは、地図にのっているあらゆる国、ガリニエ中佐の本に描かれたすべての国を歩きまわる。(ミルーはジュール・ヴェルヌが嫌いだ、だって本当に起こったことじゃないんだもん。)ダンパは行動人だ。白いヘルメットをかぶって。フータ・ジャロンを突き進む。ブー族やトウークルール族の国々を訪れる。セネガルの原住民やセネガルの狙撃兵からなる少人数の護衛をしたがえて、蒸気機関つきのボートでニジェール河の流れをさかのぼるのがもう四回も見られた・・・

 ・・ちっちゃなローズは(ミルーとほぼおない年で)アラブ人が報復のために両親からさらった子供だ。彼女はアラブ人の小屋から逃げ出したのだが、フランス軍の野営地の近くまで来たとき、歩哨が発砲したため気を失って倒れ、腕を折ったのだ。明るい金髪でとても優しい。(去年の夏にミルーがリーブクレールの子供舞踏会で見かけたスウェーデンの女の子に少し似ている。)彼女はまだ腕の骨折に苦しんでいる。しかしミルーとダンパが引き取って保護しているから、もうほとんど不幸ではない・・・
(「幼なごころ 『包丁』」 ヴァレリー・ラルボー著 岩崎力訳より)

 ヴァレリー・ラルボーの類稀な知性と香気が伝わってきます。言葉を紡ぐ達人かと思われます。ラルボーは各国語に通暁した語学の天才であったそうです。たとえばジェイムス・ジョイスの「ユリシーズ」のフランス語訳はラルボーの仕事でした。(ラルボーは、貧窮のジョイスに自分の留守中のパリの自宅を無償で提供しました。)語学の達人でありながらほどよい抑制が効いており、ありのままに描写されております。日本で言えば私の好きな「銀の匙」中勘介著でありましょうか?
 
 ・・・一連の本を読んで感じることは自分の内記6丁目時代(幼稚園〜小六)まではやはり特別の香ばしい独特の時間であったかと思います。いまだに内記6丁目時代の幼馴染(一人は物故)とは仲良くしています。

・・・雪の後、二日連続二人でかまくらを作って相方のスコップが私の鼻柱に二日連続当たって病院に行き母に厳しく叱られた事、夏休みに毎日相方が家に来て自分の兄弟と二階で押し入れで影絵をやって蝋燭が倒れ危うく火災になりかけた。父が帰ってきて相方も含めて正座で叱られた事、淳明小の間の空き地にビー玉の「天国と地獄」の穴に瓶を仕込み幼馴染が「ビー玉の全部取り」の期待でご満悦であった事、両方に家が建て込む路地がありお互いの家の中が筒抜けであり向かいの奥さんが夫婦仲の事で幼馴染の母に泣きついてこられた事、夏休みは三輪車で兄弟も含めて家の周りのワンブロックを一周して競争した事、夏休みのラジオ体操で調子に乗って幼馴染と前に出て三人の指揮者よろしくラジオ体操をしたら唐突に父が苦虫を噛み潰した顔で来た事等々・・・。香ばしい独特の時間であったと今更ながら思い返します。