社長ブログ

休日

ブログ, 社内

朝食後、たまっている暑中見舞いや礼状を書く。

高校の恩師・青木建設時代のお世話になった所長お二人・以前米田組に勤務していた○○くん・・・・。

書き出すと悪筆ながらどんどん書ける感じ。


 

その後、副島隆彦氏の「日米振り込め詐欺大恐慌-私たちの年金・保険は1/3に削られる。」を興味深く読みました。

米国で行われたCDS(クレジットデフォルドスワップ=企業の債務不履行の保証・保険の証券化。著者曰く「企業の臓器売買」)などの巨額なデリバティブのギャンブル額の総計はなんと8京円。米国は真水の部分(5%)の痛みを伴う処理だけで、4,000兆円の処理が必要。日本はバブル崩壊で15年間かけて実損で200兆円を処理を済ます。比較してその巨額さが分ります。

日本は土地等の実物に対するバブルで、自ずから額に限界がありました。米国は一種の証券化のギャンブルで天文学的数字です。

著者は「120年周期で世界覇権の交代」という歴史的観点からも述べている。

日本や中国が買い続けている米国債。

貨幣の増刷という不気味さが感じられます。
 
 
午後から2週間ぶりのテニスの練習。○○荘に行くも暑さのためか参加者少なし。

午後遅くから、しとしと雨。雨に濡れて気持ちいい。

仕舞いがけに横殴りの雨。突風と共にずぶ濡れになる。

スコールを浴びているようなもの。濡れながら日よけのターフなどの撤収を行う。

靴の中までぐしょぐしょ・・・。

巨大な滝にあたっているようで、かえって・・・気持ちが良い?

夫婦とも濡れ鼠で車に乗る。

ほうほうのていで帰宅。

癒しの時間・・・。

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梅雨の曇り空の中、愛犬と共に朝の散歩に出かける。

一人目・・・・リュックをしょた、杖をついたお爺さんに出会う。いつも朝早く、新鮮な品物を買いゆっくりと歩いて行かれる。

「今朝は早かったんですね・・。」と声をかける。

笑顔で頷いて頂く。
 

二人目・・・・裏のご主人のウォーキング帰りに会う。今年退職され大阪から帰ってこられる。ときに朝早く庭で椅子に座って新聞を読んでおられる。

「もう廻ってこられたんですか?」

「廻ってきたで・・。」(笑)
 

三人目・・・出社時、犬を連れた近所の医院の奥さんに出会う。

昨日は「自転車・・・凄いですね!」との声。

車の窓を開けて声を掛ける。

「奥さん、・・・ご主人この間(テニスの)試合頑張ばっとちゃったで・・・。」(笑)

「・・・身体が痛い痛い・・・言うんですよ。」(笑)
 

出社して、朝から業界団体の現場の安全パトロールがありました。
 
・・・・・
 

昼休みに、ある方がIphoneをいじっておられました。

私もIphoneを使っているので話しかけました。

沢山のアプリケーションを入れておられ、見せて貰いました。

「・・・これは、なんにも意味がないんですけど癒し・・っていうのか・・・。」

鯉が池の中を泳ぐサイトを見せて貰いました。

鳥のさえずりが聞こえる中、鯉が澄み切った池の中を優雅に泳ぎまわっています。

指で画面を触ると、水面に波紋が広がっていきます。

「鳥のさえずりを消しましょうか・・・?」

「えさをやりましょうか・・・?」

鯉が寄ってきて、餌を食べて離れていきます。

「夜の状態にしましょうか?」

水面が暗くなります。

・・・・

・・・・

気持ちが、何故かゆったりとしてきます。

 
「池の中を涼しそうに泳ぐ色とりどりの鯉たちが、心をなごませてくれます・・画面をタップして、澄みきった池の水に触れてみましょう・・・・水の音とともに水面に波紋が広がって、おどろいた鯉たちが逃げていきます・・・」   

 

半夏生

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むし暑い!!

いよいよ梅雨明けも間近です。

「半夏生」(はんげしょう)という花を事務所に飾って頂きました。別名「かたしろぐさ」と言うそうです。梅雨明けの頃に咲くそうです。

昨日は娘のヨット部のファミリーデイに琵琶湖まで行ってきました。

半日ヨットに乗せて貰って、カレーライスを食べて帰ってきました。学生達は相変わらず真っ黒に日焼けして、活気がありました。

同じ470級という艇に乗っている後輩の男子学生に上級生風を吹かして、横柄な口をきく娘でありました。

例年になく、珍しく風があり、ヨットは湖面を滑るように走っていきました。

途中で、OB会所有のクルーザーに乗せて貰いました。

風向きによって、監督さんや学生が機敏にマストの方向を変えたり、別のマストを出し入れしておりました。

ロープが縦横にあり、マストやセールを引っ張っておりました。

ロープがもつれそうになると、

「(ロープ同士が)カンショウしている・・!」と言っておられました。

私のそばにロープがあり、私も少し手伝いました。

それだけで・・・・操船に参加したような気になり満足でした
 

カンショウしててな・・・♪」と、高揚した話しを娘にすると、・・・盛り下がられる親父でした。

ちょっと幸せな気分・・・。

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週明けから長野県のK市と東京を廻ってきました。K市では旧知の会社の訪問でした。

「米田さんが来ると懐かしくて・・・。」

と大接待に預かりました。かたじけなくお世話になりました。

社長様とは米国・東南アジア・欧州をそれぞれご一緒した仲です。

K市から新宿へでました。車中から富士山の後ろ側が見えました。残念ながら笠がかかっていました。
 

東京では、はやりでしょうか・・・、JRの駅にベタベタと分かり易く標示がしてありました。

昼は時間がないために恵比寿ガーデンプレイスでパスタ屋さんに入りました。

案内の女性がニッコリ笑って、私の前の30代のカップルと私に

「3人様ですか・・・?」と尋ねました。

「いいえ。」(カップル)

「・・・・・・・・おじゃまむしになるし・・・。」(米田のつぶやき)

黒のワンピースのとてもよく似合う女性が、ニヤッと笑って私を一瞥しました。

・・・ちょっと得をした気分でした。。
 
 
出張中、高校時代の同窓会のメーリングリストに登録しました。登録の仕方がうまくいかず、

「貴君は誰・・。」みたいなメールが来て、やむを得ず投稿しました。

投稿しますと、思いかけず学校中の同級生から私あての書き込みが怒濤のように(大げさ)来ました。

「米田の名前懐かしいね。・・元気でやっているかい?」

「競走部○○です。・・・一度遊びに来いよ。」

「バスケ部△△です。HP見たけど、昔の面影ないね・・・。」

結構それの返事に忙しくしました。

俺って・・・結構いじられキャラ・・??

ちょっと幸せな気分の米田でした。
 
 
 
富嶽百景

 富士の頂角、広重(ひろしげ)の富士は八十五度、文晁(ぶんてう)の富士も八十四度くらゐ、けれども、陸軍の実測図によつて東西及南北に断面図を作つてみると、東西縦断は頂角、百二十四度となり、南北は百十七度である。広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。いただきが、細く、高く、華奢(きやしや)である。北斎にいたつては、その頂角、ほとんど三十度くらゐ、エッフェル鉄塔のやうな富士をさへ描いてゐる。けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。

                                                       太宰治

美しい日本語

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先の休日に読みさしになっていた、「日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で-」水村美苗著を読み終えました。

著者は著述業で、12歳より米国で育ち、仏蘭西に留学経験もあり、米国でも教壇に立った女性です。

米国に住みながら、少女時代より夏目漱石などの日本文学をひたすら耽読したそうです。

作家として日本から米国の大学のプログラムに招かれた時、他国の作家と交流し、自国の古来からの一貫した言語で著述することが如何に幸運かを感じます。(他国に占領された国々は二重言語や三重言語になる。)

他国の作家のほとんどは、様々な政治状況の中で、様々な言葉(自国の古語を含む)で文章を紡いでいました。

著者のパリの講演の場で、異国の作家から日本文学をさして「主要な文学」と言われたことに著者は感じ入ります。日本語が近代文学を持っていたことを、世界の読書人に認識されているということに改めて気づきます。

・・・「もし日本が元寇を始めとする他国の侵略や占領にあっていたなら、今の日本語の成立は無かった」と著者は考えます。

漢文の到来・漢文訓読(順序を逆にして自分たちの言葉のように読む)・膠着語(て・に・を・は・が・の・・)+助詞(である・たる・なる・・)を漢文の脇に添える・漢字の意味を捨て表音文字として使う=万葉仮名・・・・・カタカナ・ひらかなになっていきました。

カタカナとひらがなは「普遍語」と「現地語」という別の道を辿ります。

カタカナは長い間漢文訓読に従属した文字体系であり続けました。カタカナは漢文の脇に返り点と共に小さく挿入されているだけであったが、次第に漢字と同じ大きさになっていきました。最後には返り点を必要としない「漢字カタカナ交じり文」という現代の日本語のおおもととなる書き言葉になっていきます。

ひらがなはいち早く漢文の翻訳文である漢文訓読から離れ、「やまと言葉」で詠む和歌を中心に成立していきました。漢文の読み書きを禁じられていた女性が使う言葉となっていきました。中国への遣唐使が間遠くなり、次第にひらがなが男性の読書人に使われるようになっていきます。最初の勅撰和歌集「古今和歌集」はひらがなによって編纂されました。

二重言語者である紀貫之はわざわざ女性になりすまして、「土佐日記」を書きます。

・・男もなする日記というものを女もしてみむとてするなり・・・

「源氏物語」「枕草子」は桁はずれた才能を持ちながら女ということで漢文を書くのを禁じられていた紫式部と清少納言という女性によって書かれました。

「今昔物語」(平安後期)「正法眼蔵随聞記」「歎異抄」「方丈記」(鎌倉前期)は「漢字カタカナ交じり文」で書かれました。

その後、「徒然草」(鎌倉後期)・西鶴・新井白石の自伝・十返舎一九・曲亭馬琴・上田秋成(江戸時代)以降は「漢字ひらがな交じり文」になっていきます。

江戸時代の「出版文化の発達」が、日本の言葉・日本の文学の成熟を助けました。

福沢諭吉の「福翁自伝」(初版明治5年)は初版がなんと20万部、最終的には300万部以上売れたそうです。

そんな中で、美的な、繊細な、美しい響きの、情緒豊かな、日本語が急速に成熟していきました。

・・・・

現代では、「グーグル・ブック・サーチ・ライブラリー・プロジェクト」・・・インターネットを通して、全ての世界の書物にアクセスできると言うプロジェクトの存在があります。

「インターネット万能の時代、全てが英語に飲み込まれようとする時代、もし味わい深い日本語が『亡びる』運命にあるとすれば、その過程を正視するしかない・・・。」と著者は考えます。

分かりつらいですが、拾い読みのあらすじです。

・・・

何はともあれ、美しい繊細な日本語が、味わうこともなく次第に廃れていく?はやむを得ないことですが・・・・。

私は廃れていくのではなく、柔軟に進化してきた日本語が、時代に合わせて更に進化していっているように思います。

・・・少し前に読んだ「銀の匙(さじ)」中勘助著。

中学校時代の教科書に載っていた何時までも心に残る詩。

・・・自分の琴線に触れるのは、やはりその時代時代の人間の心象風景によるのかなぁ・・と思います。
 

  
 

甃(いし)のうへ

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ

をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳(ひとみ)をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂々(ひさしびさし)に
風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば

ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ

                   三好達治